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映画『東京家族』について

1946年の精神(13) 大林宣彦監督の新作

2017年12月20日 | 映画『東京家族』
 この12月に入ってから、『この空の花―長岡花火物語』(2011)と、『野のなななのか』(2014)の近作二本をDVDで、そして最新作の『花筐/HANAGATAMI』を劇場で観た。
 映画は交響曲のように重層的で、実際『花筐』は『野のなななのか』と同じように、音楽が絶え間なく映像を伴奏し、時に主題を奏でる。音楽が途切れるのは唯一、最後の爆撃のシーンだけだったのではないだろうか。
 大林監督の映画は、1993年の『水の旅人 侍KIDS』を劇場で観てあまりピンと来ず、以来意識的にではなく遠ざかっていた。だから、この三本の長い映画で、その時間と邂逅している。




























 日本に49発の模擬原爆が落とされていたことや、1945年9月に入っても終わらなかった戦闘など、一般には知られていない事実から『この空の花』と『野のなななのか』はそれぞれ始まる。この二作で重要な役割を担っているのが「山下清」だ。芦屋 雁之助が演ずるテレビドラマにもなった、日本各地でおむすびをもらいながら絵を描く、あの放浪の画家である。

http://www.dailymotion.com/video/x4jq8ke


 清も当時のほとんど全ての日本人が考えたように、戦争に負ければ「奴隷」になると思って必死で戦った。しかし不思議にも、敗戦しても、古代の戦争のようにそうはならなかった。それは何故かといえば、連合国は「枢軸国が画策するファシズムの拡張を止めるための正義の戦争」という、「理想の物語」のために戦ったからである。だから日独伊の三国は敗戦後、古代のように奴隷化されることなく、1946年から1948年にかけて、「理想の物語」に基づいた各国それぞれの憲法を制定することが許されたのだ。








































 “戦争が廊下の奥に立つてゐた” は、渡辺白泉の有名な俳句であるが、この『花筐/HANAGATAMI』は、 “銃後といふ不思議な町を丘で見た” のような、とても不思議な映画だった。










































『人情紙風船』

http://www.dailymotion.com/video/x3pgazq
























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