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映画『東京家族』について

映画 『東京家族』 (その34)  お化け煙突(2)

2013年07月26日 | 映画『東京家族』
 昭和39年に解体された「お化け煙突」を、私は見ていない。

 実をいうと私は、81歳ではないのである(笑)。

 例えば、今、62歳ぐらいで、東京の「東郊」で子ども時代を過ごした方なら、それに対する強い想いがあるのではないだろうか?

 

 そういうわけで、お化け煙突の模型があるという、「足立区立郷土博物館」へ行ってきた。
 
 ここは、資料の撮影が自由にできるようになっている。








『図説 東京大空襲』 早乙女勝元 p.153「東京空襲日誌②」

“昭和20年5月25日 22時22分 中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷他 
 来襲機数 502 爆弾 4.0 焼夷弾 3,258.0 総トン 3,302
 被災家屋 165,545 罹災人口 620,125 負傷者 17,899 死者 3,651”






 



 東京の「東郊」とは、現在の足立区、葛飾区、江戸川区とその周辺のことだ。
 対する「西郊」とは、現在の武蔵野市、三鷹市、杉並区、世田谷区あたりと、その周辺を指す。

 『東京物語』の東京の舞台は「東郊」、『東京家族』のそれは「西郊」だ。

 
 
 





 “(『東京物語シナリオ』シーン)7 東京   町工場などの見える江東風景”

 ここでいう「江東」とは、現在の江東区も含む、「東郊」を意味していると思われる。



 以下からが、「お化け煙突」の写真である。






















 小さい写真ではわかりづらいので、次回拡大したものを掲載する。
 それを見ると、『東京物語』シーン7で、煙突が6本ある理由がわかる。
 シーン36のそれは、4本である。


 以下3枚が、お化け煙突の模型だ。











 「昭和10(1935)年の千住河原町」






 併設の庭園。


























 

 






 
 
  

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