“こゝに在るわが国語の美しい持続といふものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想ひ見る何かではない”
『実朝』 小林秀雄 (昭和18年2月―6月)
「随分御参詣はありますか。」
先ず差当り言うことはこれであった。
出家は頷くようにして、机の前に座を斜めに整然(きちん)と坐り、
「さようでございます。御繁昌と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗結構なものでありましたそうで。
貴下(あなた)、今お通りになりましてございましょう。此処からも見えます。この山の裾(すそ)へかけまして、ずッとあの菜種畠(なたねばたけ)の辺(あたり)、七堂伽藍建(たて)連なっておりましたそうで。書物(かきもの)にも見えますが、三浦郡(ごおり)の久能谷(くのや)では、この岩殿寺(いわとでら)が、土地の草分(くさわけ)と申しまする。
坂東(ばんどう)第二番の巡拝所、名高い霊場(れいじょう)でございますが、唯今(ただいま)ではとんとその旧跡とでも申すようになりました。
妙なもので、かえって遠国(えんごく)の衆の、参詣が多うございます。近くは上総(かずさ)下総(しもうさ)、遠い処は九州西国(さいこく)あたりから、聞(きき)伝えて巡礼なさるのがあります処(ところ)、この方たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」
「そうしたもんです。」
「ははは、如何にも、」
と言ってちょっと言葉が途切れる。
『春昼(しゅんちゅう)・春昼後刻(しゅんちゅうごこく)』 泉鏡花 (明治39年11月,12月) 「岩波文庫」
“まるで世界はパラレルワールド”
『synchroniciteen』 相対性理論 (2010.4.7)