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写経 40. 「式年遷宮 内宮遷御(ないくうせんぎょ)」 / 『金槐和歌集』 源実朝 自撰家集

2013年10月02日 | 写経(笑)

 伊勢御遷宮の年の歌

神風や 朝日の宮の 宮うつし 影のどかなる 世にこそありけれ (659)


 (「遷宮」とは、神殿を造営・改修する際に神座を移すこと。
   多くは二十年目ごとに行われる。
   ここは承元三年〔1209〕九月(旧暦)の伊勢神宮の遷宮をさす。) 
 『新潮日本古典集成 金槐和歌集』 (以下引用は同じ)


 



 繊細な詩人,将軍の実朝は、集の最後に、次の四首を置いた。



   

 述懐の歌

君が代に なほ長らへて 月清(きよ)み 秋のみ空の かげを待たなむ (660)


太上天皇〔後鳥羽上皇〕の御書下(くだ)し預(あづか)りし時の歌

大君(おほきみ)の 勅(ちょく)をかしこみ ちちわくに 心はわくとも 人に言はめやも (661)


東(ひんがし)の 国にわがをれば 朝日さす  藐姑射(はこや)の山の 陰(かげ)となりにき (662)


山は裂け 海は浅(あ)せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも (663)





                 建暦三年十二月十八日  かまくらの右大臣家集






 この歌で実朝は集を終えているが、これに先立つ三首も、「伊勢神宮」に関連している。




   


 神祇(じんぎ)

月冴(さ)ゆる 御裳濯川(みもすそがは)の 底きよみ いづれの世にか 澄みはじめけむ (656)

いにしへの 神代(かみよ)の影ぞ 残りける 天(あま)の岩戸(いはと)の 明け方の月 (657)

八百万(やほよろづ) 四方(よも)の神たち 集まれり 高天(たかま)の原に 千木(ちぎ)高くして (658)








 実朝がどんなに優れた詩人であり、政治家であったかは、次の四首を読めば、わかる。



 花の咲けるを見て

宿にある 桜の花は 咲きにけり 千歳(ちとせ)の春も 常(つね)かくし見む (364)

 (わが家の桜が美しく花開いた。これから後、千回もの春にわたって、いつもこのような見事な花を見たいものだ。)


 苔(こけ)に寄する祝(いはひ)といふことを

岩にむす 苔のみどりの 深きいろを 幾千代(いくちよ)までと 誰(たれ)か染めけむ (365)

 (岩に生える緑の苔の深い色を、何千年も続くようにと、誰がいったい染めたのだろうか。)


 二所詣(にしよまうで)し侍(はべ)りしとき

ちはやぶる 伊豆(いづ)のお山の 玉椿(たまつばき) 八百万代(やほよろづよ)も 色はかはらじ (366)

 (伊豆山権現のこの見事な椿は、今後もはてしなく咲き続け、色あせることもないだろう。)


 月に寄する祝

万代(よろづよ)に 見るともあかじ 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月の あらむかぎりは (367)

 (九月の有明の月が空にあって見飽きないように、あなたがこの世におられるかぎり、千年万年見ていても飽きないことでしょう。)

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