おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

オリンピックとテーマソング

2022年02月04日 19時49分00秒 | オリンピック

北京冬季オリンピックが開幕します。本日開会式が行われますが、競技は既に始まっています。

話題性が乏しいとか、人気がどうとか、ましてやコロナ云々を持ち出して、楽しもうとしないのはスポーツに対する冒涜とも言えます。だから、何はさておき楽しみま
しょう。

さて、日本で開催された五輪と言えば、夏が東京の2回、まあ2回目は昨年だったのですが、冬は札幌と長野の2回です。その中で、昭和に開催された夏の東京大会と
冬の札幌大会、これにはテーマソングがありました。



「東京五輪音頭」
作詞:宮田隆・作曲:古賀政男

ハアー (ソレ)
あの日ローマで ながめた月が
(ソレ トトントネ)
きょうは 都の 空照らす
(ア チョイトネ)
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショ コリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトント トトント 顔と顔

ハアー (ソレ)
待ちに待ってた 世界の祭り
(ソレ トトントネ)
西の国から 東から
(ア チョイトネ)
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんときた
ヨイショ コリャ どんときた
オリンピックの 晴れ姿
ソレトトント トトント 晴れ姿

ハアー (ソレ)
色もうれしや 数えりゃ五つ
(ソレ トトントネ)
仰ぐ旗みりゃ はずむ胸
(ア チョイトネ)
すがた形は 違っていても
いずれおとらぬ 若い花
ヨイショ コリャ 若い花
オリンピックの 庭に咲く
ソレトトント トトント 庭に咲く

ハアー (ソレ)
きみがはやせば 私はおどる
(ソレ トトントネ)
菊の香りの 秋の空
(ア チョイトネ)
羽をそろえて 拍手の音に
とんでくるくる 赤とんぼ
ヨイショ コリャ 赤とんぼ
オリンピックの 今日の歌
ソレトトント トトント 今日の歌





「虹と雪のバラード」
作詞:河邨文一郎・作曲:村井邦彦

虹の地平を 歩み出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに
眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎に ゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? ちから? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと


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昭和の頃は、五輪にせよ万博にせよ、外国人を目にする機会は殆どありませんでした。まさしく、世界の祭りだったのです。そして、町が生まれ、町が変わる、その歴史の1頁に位置する壮大なイベントでした。それによってインフラが整備され、日本が未来に向かって発展する息遣いを感じることができました。オリンピックは本来そういうものだったのです。

今となっては、金儲けの道具のように見られ、IOCを富ませる為に開催都市がやせ細っていくような、悲しい現実となり果てました。オリンピックを開催することがステータスではなくなって久しいのですが、もう一度あのような熱気と歓声だけは取り戻してほしい。それだけを願いながら、今回の北京も見てみようと思います。

よろしくお願いします。
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パリ五輪に向けて

2021年08月14日 16時15分00秒 | オリンピック

東京オリンピックは上層部の無能さで世界に大恥を晒す窮地を選手たちの頑張りとボランティアの皆さんの献身的な努力によって、日本本来の素晴らしさを示すことができたのは良かったと思います。さて、次回のパリ五輪は3年後に迫っています。

東京五輪を区切りと考えて努力してきたのは選手ばかりではありません。指導陣、監督・コーチの多くは東京までと考えて集大成の大会に挑んできましたから、ここで身を引く皆さんが殆どだと思います。また、地元五輪だからと増額された強化費はパリに向けては大幅に削減されるでしょう。スポンサー企業の多くも離れることが考えられます。これから、日本のスポーツ界には強い逆風が吹くと思われます。


出典:https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52283957/

東京オリンピックで金メダルを獲得した、「野球・ソフトボール」はパリの実施競技から落選しました。東京で新競技に加えられた、サーフィン、スケートボード、スポーツクライミングは、パリでの実施競技に残りましたが、空手は除外され、新たにブレイクダンスが加えられました。世界的な広がりのないマイナー競技の野球・ソフトボールが落選するのは予想通りでしたし、武道的要素の強い空手も残念ですが仕方ありません。

参加国が6つに絞られた野球・ソフトボールが世界一を決する大会に相応しいかと言えば、否というしかありません。空手も競技としての種目数があまりにも少なくてアピールすることができませんでした。

フランスは柔道が国技と言われるほど競技人口は日本より圧倒的に多く、地元五輪に向けて強化が進むでしょう。柔道発祥国の意地と誇りにかけて選手個々が奮闘して、史上最多のメダル数を叩き出した今回の五輪のようには行かないでしょう。

その他の競技も課題は多々ありましたが、選手の頑張りで消された感があります。正念場はパリにあると考えます。


出典:https://www.afpbb.com/articles/-/3136891

ところで、上のパリの凱旋門上空の写真をご覧ください。凱旋門を中心に放射状に広がる道路と街並がパリの代名詞の一つなのですが、これを見てお隣の某国はどのようなリアクションをするのでしょう?

「旭日旗を想起させる街並はけしからん。すぐに変更しなさい」とか、「こんな大会はボイコットする」とか、言い出すかと思っていますが、今のところ全く動きがありません。結局のところ、言いにくい相手には黙って尻尾を振るだけで、日本に対してのみ言いがかりをつけるのでは全く説得力がありません。まあ、その程度ですがね。


出典:https://tori-dori.com/kanto/2020/02/19/16918/

昇る朝日が気に入らないなら太陽にクレームをつけてください(笑) 色々とネタを頂けるので楽しめますが、気分の悪い方もいらっしゃるでしょう。嫌気が差したらスルーするに限りますね。

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また、話が逸れてしまいました。申し訳ございません。

日本のスポーツ界は良くも悪くも体育会体質です。国家レベルの支援が得られなくなれば、その傾向は顕著になります。企業、学校におんぶにだっこの競技体制が変わらなければ、以前の状況に戻るでしょう。その中で選手たちが強い意志を持って努力する姿を見せてくれるのであれば、今後も全力で応援したいと思います。

よろしくお願いします。
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『旭日旗』とは、そもそも何?

2021年08月13日 06時30分00秒 | オリンピック

大雨の影響が各地で出ています。お気を付けください。高校野球の日程消化が最も気になるところでしょうか?

話題が枯渇してきたので、今回は私見を述べます。個別の反論はスルーすると思います。


出典:http://mari.cocolog-nifty.com/mari/2006/11/post_7b00.html

隣の某国の東京オリンピックを利用した大々的な「反日キャンペーン」はあちらさんの空回りで終わりました。これについて、日本のゴミと呼ばれるメディアも何のリアクションも取りませんでした。それはそれで、良いこととは思います。



ただ、かの国ではそれも含めて気に入らないようで、五輪が終わるとアップル社にターゲットを変えて問題視しようとしています。世界中から面倒くさがられているので、上辺だけ取り繕って対処することも多いのですが、それもよく分かっていないようですね。

まあ、こちらとしても相手が喧嘩を売って来るから、放っておけばよいのに買ってしまう人も出てきます。誰も相手にしなければ彼らとしても困ってしまうのですが(笑)

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<東京五輪>外信も「旭日旗クライミング」だというのに…大韓体育会長「拡大解釈だ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc194dcbb09d019c2ab8518d19d721f07c43407d
※以下、引用です。

東京オリンピック(五輪)スポーツクライミングで「旭日旗」の形状をしたクライミング課題が登場して論争になっている。5日、東京青海アーバンスポーツパークで開かれた男子複合決選でボルダリング第3課題が日本の旭日旗を連想させるというものだ。

ボルダリングの課題は競技直前まで非公開だが、第3課題は放射形をしていた。ユーロスポーツ、アウトサイド、プラネットマウンテンなど外信はこの課題を「ライジングサン(Rising Sun)」と呼んだ。「昇る太陽(旭日)」という意味だ。

さらに国際スポーツクライミング連盟(IFSC)も公式ホームページでボルダリング第3課題を「旭日旗」と解釈した。IFSCは「灰色のボリュームと小さな黄色のホールドで構成された『日本のライジングサンのシェイプ(Japanese rising sun shape)』の第3課題では、すべての選手がゾーンには到達したが、誰も完登することができなかった」と伝えた。

最も登りにくいコースが旭日旗のシェイプだった。旭日旗は第2次世界大戦当時、日本が韓国を含めた他国を侵攻するときに使った帝国主義の軍旗だ。日章旗の赤い太陽の周囲に朝日の光線が広がる様子を形象化している。

KBS(韓国放送公社)スポーツクライミングの解説を担当した「韓国スポーツクライミングの女帝」キム・ジャインは数日前インスタグラムに「旭日旗問題は韓国と日本でいつも外交的に敏感な問題だった。なぜあえてそのようなデザインをボルダリングの課題に取り入れたのか理解することができない」と批判した。「クライミング ・ホールド・ニュース・リビューズ(Climbing Hold News Reviews)」は「解説者が旗に対する賛辞だと話したが、単にデザインに言及した内容」と明らかにした。だが、一部のファンは「(予選から脱落した)チョン・ジョンウォンがもし決選に進み、旭日旗のシェイプの課題を登ろうと努力しているところを想像すると恐ろしい」という反応を出した。

開幕前、大韓体育会は選手村に李舜臣(イ・スンシン)の横断幕(臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています)を掲げたが結局撤去した。国際オリンピック委員会(IOC)が「政治的な宣伝活動を禁ずる」とした五輪憲章第50条の違反を挙げて撤去を要請し、大韓体育会も「競技場内の旭日旗使用にも同じように適用する」というIOCの約束を受け入れて横断幕を撤去した。

大韓体育会の李起興(イ・ギフン)会長は8日、東京のメインプレスセンターで開かれた記者会見で「今大会のスポーツ外交の成果と言われれば、IOCから今後旭日旗を競技場で使用できないように文書を受けたこと」と自評した。

しかし東京五輪は無観客で行われた。「観客もいないのに実効性が欠けるのではないか」という指摘が出た。開幕を控えて選手村前では日本極右団体が旭日旗デモを行った。ある男性は韓国カメラマンに駆け寄って「韓国人、バカやで」と大声を張り上げた。

スポーツクライミングの旭日旗の形をした構造物にも、旭日旗を連想させる日本ゴルフ代表のユニフォームにも何もできなかった。前日、日本女子ゴルフの稲見萌寧はこのユニホームを着て銀メダルを取った。

李会長はスポーツクライミングの旭日旗のシェイプなどに関連する質問に「観点の違いだと考える。すべての状況を一つのものさしで見ることはできない。適切か、行き過ぎているかの問題だ。IOCや日本組織委と多くの話をやりとりし、書面で受けたということは公式化されたことだ。これからはそのようにはできないだろう。選手村前(のデモも)初めはあったが、その後は警視庁ができないようにした。ゴルフ場クライミングは形状物として見て、そこまで考えなかった。考える余裕もなかった。行き過ぎた拡大解釈ではないのか、私は個人的にそのように考える」と述べた。李会長は「行き過ぎた拡大解釈」という単語を使った。

だが、10年以上にわたり旭日旗退治と独島(トクド、日本名・竹島)守護運動を行ってきた誠信(ソンシン)女子大学の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は「私は(李会長の)意見に反対だ。ユーロスポーツと国際スポーツクライミング連盟も『ライジングサン』と表記したのに、拡大解釈とは。赤色の点に16本の光線があるから旭日旗なのではない。戦犯旗を意図的に形象化した構造物も大きな問題」とし「大韓体育会がIOCに公式文書を受けたというが、拡大解釈だと言うのではなく、実行して手本を見せる良い機会だ。当然抗議しなければならない」と明らかにした。

李会長が東京で記者会見を行った8日。その日午後、キム・ジャインは東京五輪ボルダリング第3課題の画像と一緒にインスタグラムにこのようなコメントを残した。

「私は日本のクライマーや選手たちにどのような悪感情も持っていません。でも第3課題については必ず一言話しておかなければならないようです。ルートセッターがどこの国の人なのか、そして彼らがルートセッティングをするときに旭日旗を意図したのかは、この映像を見て、皆さんの判断に任せます。そこには大会を作る数多くのオフィシャルステップがありましたが、誰もこの問題に対して最低限の注意を払いませんでした。五輪ブロードキャスト公式解説者はその問題のデザインを『Japanese rising sun』そして『the image depicts rising sun』と直接言及しました。解説者は運営スタッフからルートに対する情報を十分に受けて中継を進めるため、これは解説者個人の考えではないと思います。旭日旗は日本が第2次世界大戦期間中に使った軍旗で、日本軍国主義を象徴する戦犯旗です。軍事侵略被害国にとって、旭日旗はドイツナチスの象徴であるハーケンクロイツと違うところがないので、旭日旗はいつも韓国を含む被害国家と日本の間の非常に敏感な問題です。もし彼らがこのような歴史と外交に対して少しでも理解するなら、旭日旗のシェイプがすばらしいという考えは持てないはずです。IOCは旭日旗に対しても政治的・宗教的・人種的な宣伝活動を禁じる五輪憲章を適用すると約束したことがあります。もし彼らが五輪精神を守ろうと思うなら、五輪舞台でそのデザインとそのコメントは絶対に使ってはならず、これに関連する責任者は謝らなければなりません」


         

某国のネット記事ですので、ご立腹の方はひとまずお納めください。彼らにとっては、何としても日本を貶める発言をして、それに賛同する人を増やしたいのですが、世界は取り合ってくれません。それほどまでに太陽が嫌いなら、夜の明けない国に住んでいただけたら良いと思います。


(旭日旗のデザインは陸軍と海軍で違いがあって、これは陸軍仕様です。最上部に掲載したものは海軍仕様です。それによって、この旗が“戦犯旗”と指摘される理由は微塵もありませんが)

そもそも、旭日旗が論争に上がったのは、2011年1月のアジアカップ日韓戦で奇誠庸が行った猿顔(猿=日本人)パフォーマンスを「スタンドに旭日旗を見つけたから」と語って以降のことです。その時もスタンドに旭日旗はなかったのですが、このこと以降あちら側では「旭日旗=戦犯旗」のレッテルを張って、反日キャンペーンの好材料となっただけなのですが、まあ反日を続けていないと生きていけない人々はいるものです。

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旭日旗は昇る朝日を表すものですから、日本では古来から慶事に用いられるお祝いの旗です。軍事的な意味は何も持ち合わせていません。そもそも、あちらの皆さんがこよなく愛する朝日新聞社の社旗も旭日旗なのですが、それは問題ないようです。結局、相手を選んでいちゃもんつけて自己満足に浸っているだけです。

もう相手にせず、要求を飲まず、不要なことはスルーしましょう。何の効力もないと分かれば静かになっていくものです。それでも喧しく言っているようだと、その内世界から抹殺されます。「金持ち喧嘩せず」とは言い得て妙ですね。

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私は別にかの国の人々、特に個々人に嫌なイメージはありません。ただ、政権が国策として反日にすがっていないと生き残れないだけです。人民が揃ってスルーしてやれば勝手に自爆するだけです。もう、放置して良いかと思いますね。

まあ、適当に聞き流してください。
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2021 東京オリンピック 開幕前夜まで何かが起きる !?

2021年07月22日 19時35分00秒 | オリンピック

東京オリンピックが開幕直前に来て、何でこんなにごたごたするのか? 理由を考えるとある一つの結論に達します。

いきなりですが、これは私見です。反論はお受けできません 


        出典:https://www.joc.or.jp/

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会という組織に関する名称をよく耳にされると思います。会長はご存知の通り、橋本聖子氏です。JOCと開催都市の東京都による一般財団法人として2014年に設立され、2015年1月1日付で公益財団法人となりました。初代会長は、これも良くご存知の通りの森喜朗氏でした。日本開催のおりんびっきにおいて、財界以外からの組織委員会会長と言えば、前回の東京オリンピックの際の津島壽一氏まで遡ります。津島氏に関しては、一昨年の大河ドラマ「いだてん」をご覧になった方はご記憶かと思います。


出典:https://nihonbashi.confidence-s.com/staff-blog/idaten.html

ここに来て、東京五輪の迷走ぶりは呆れるばかりの酷いものです。何でこうまで混乱するのか? これは全て、今年2月の森喜朗会長の辞任が原因だと考えています。この化物のようなオリンピックとそれにまみれて甘い汁を吸おうとする魑魅魍魎どもをある時は正論で論破し、ある時は裏技でねじ伏せ、良いも悪いも取捨選択しながら切り盛りしていくには、清濁併せ呑む度量と独断でも決断してしまう経験と思い切りが必要です。申し訳ないですが、今の橋本会長にそれを期待するのは余りにも酷な話です。
一言で全員を沈黙させてしまう力は総理経験者の森氏を上回る人材はそもそも存在しなかったのです。

例の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言も今様のマスメディアの常套手段、「言葉尻をとらえて問題視し、大きく膨らませて個人攻撃する」悪辣な手段ではめられた感が満載でした。彼らにとっては、扱いにくい頑固爺に去って貰いたかったのですから、あの発言は勿怪の幸いでした。

それ以降、五輪は迷走に迷走を重ね、誰も責任を取らない烏合の衆によってとんでもない方向に流れてしまいました。

大きなイベント事を行おうとすればトップダウンで強権発動できるカリスマ的なリーダーがいないといけません。そもそも戦後日本に存在すらしなかった民主主義がどうのこうのと寝言を言っているような輩に切り盛りできるような代物ではありません。オリンピックは魔物であり、化物なのですから。


出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/bdb6b73d3fa85ed594b37dcee0baa4eee86feb7a

ところで、明日の開会式を前にして、既に競技が始まりましたね。

昨日と今日の日本が関係するものだけでも取り上げてみます。

個人的な好き嫌いで今後も適当に取り上げるかも知れませんので予めご容赦ください。

【ソフトボール】

*7/21 県営あずま球場
豪 州
  100 00│1
  102 32x│8
日 本
     (5回コールド)

*7/22 県営あずま球場
メキシコ
  000 010 10│2
  010 010 01x│3
日  本
      (延長8回タイブレーク)


【サッカー(女子)

*7/21 札幌ドーム
日本 1-1 カナダ
  ┌0-1┐
  └1-0┘

得点者:
6分 クリスティン・シンクレア(カ)
84分 岩渕真奈(日)

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男子サッカーに関しては、試合前から色々ありましたので、結果は別枠で取り上げたいと思います。

まあ、なかなかオリンピックを楽しむ気分になれないかも知れませんが、今日ものある種目だけでも観戦して雰囲気を味わいたいですよね。

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東京五輪 バドミントン日本代表 13選手決定

2021年06月18日 23時35分00秒 | オリンピック



女子サッカーに続いて、男女のバドミントン日本代表が発表されました。日本にとってはメダル量産が期待できる種目でもありますので、その陣容を注目しています。


出典:https://ybcinfo.com/archives/1030

さて、それでは発表された13人です。尚、渡辺勇大は男子ダブルスと混合ダブルスの2種目に出場します。選手の左の丸数字は最新の世界ランキングです。

【東京五輪バドミントン男女日本代表】

◇男子シングルス
桃田賢斗(NTT東日本)
常山幹太(トナミ運輸)

◇女子シングルス
奥原希望(太陽ホールディングス)
山口 茜(再春館製薬所)

◇男子ダブルス
遠藤大由渡辺勇大(日本ユニシス)
園田啓悟嘉村健士(トナミ運輸)

◇女子ダブルス
福島由紀広田彩花(丸杉Bluvic)
永原和可那松本麻佑(北都銀行)

◇混合ダブルス
渡辺勇大東野有紗(日本ユニシス)

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桃田が昨年1月に交通事故で重傷を負った時、「彼は五輪に縁のない選手なのか?」と思ったりしました。
世界ランク2位で迎えるはずだったリオ五輪の直前に違法カジノで賭博をしていたことが発覚し、無期限出場停止処分を科せられた時に「彼は終わった」と思いましたが、翌年5月に競技復帰すると、連戦連勝で見事に復活し世界ランクは1位まで駆け上がりました。一躍、東京五輪の金メダル候補になりましたが、好事魔多しと言いますか、マレーシア・マスターズで優勝した翌日に例の交通事故に遭い、右眼窩底骨折による手術をうけることとなり、もしコロナ禍で昨年の東京五輪が延期になっていなかったら、恐らく出場できたかどうかも分からなかったでしょうし、メダル獲得も厳しかったと思います。
そういう意味では、幸か不幸か今年の五輪に間に合ったというのは、「捨てる神あれば拾う神あり」でしたね。

何度も地獄を見た男、桃田賢斗には特に注目したいところです。



五輪開催に向けて、選手は研鑽を積んでいます。その蓄えた力を発揮するチャンスすら奪ってしまうことにならないように。日本はモスクワ五輪出場辞退という悲劇を繰り返さないという責任と義務を負っています。

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注目して応援することも大事なことですよね。

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五輪に野球が必要かどうかという議論はとりあえず置いといて、五輪メンバー24人の発表

2021年06月16日 18時48分00秒 | オリンピック


本日、東京オリンピックの野球に出場する日本代表メンバー24人が発表されました。

ごく個人的な意見として言わせていただけば、五輪競技に野球は必要ないと思っています。まず、世界的な競技人口の少なさ、そして試合のできる野球場の少なさ、それらを勘案して考えれば五輪競技としては全く相応しくないと考えるからです。

競技団体が五輪種目に拘りたいのであれば、極東アジアと北中米大陸に偏っている現状の分布図をそれ以外の地域、特にヨーロッパへ広げていく努力が不可欠だと思います。

現状では、ベースボールは世界からは全く注目されないマイナー競技に過ぎません。



例えば、日本国内で世界基準で野球競技を行えるスタジアムとしては、マツダスタジアムやほっともっとフィールド神戸など、ごく少数の施設しかありません。東京オリンピックで主会場として使用される横浜スタジアムは人工芝ですし、競技場としては欠陥だらけです。空調を使用するドーム球場などはもってのほかですし、甲子園などの天然芝球場にしても内野に芝がない球場は欠陥球場の烙印を押されます。

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そもそも、競技場の規格に違いがある上に、世界的にボールも統一されていないような大雑把な競技が五輪などの公式競技になることには、もっと詳細についての議論がなされないといけないように感じます。

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まあ、そんなこんなの疑問点はとりあえず置いといて、本日発表された五輪代表の24人について確認してみましょう。

【東京五輪野球競技日本代表】

◇投手
田中将大(楽天)
菅野智之(巨人)
大野雄大(中日)
森下暢仁(広島)
山本由伸(オリックス)
青柳晃洋(阪神)
岩崎 優(阪神)
中川皓太(巨人)
山崎康晃(DeNA)
栗林良吏(広島)
平良海馬(西武)

◇捕手
會澤 翼(広島)
甲斐拓也(ソフトバンク)

◇内野手
浅村栄斗(楽天)
菊池涼介(広島)
坂本勇人(巨人)
山田哲人(ヤクルト)
源田壮亮(西武)
村上宗隆(ヤクルト)

◇外野手
柳田悠岐(ソフトバンク)
鈴木誠也(広島)
吉田正尚(オリックス)
近藤健介(日本ハム)
栗原陵矢(ソフトバンク)



色々、思うところはあるでしょうが、こういうメンバー構成になりました。監督の目指すスタイルのようなものがあるでしょうから、人選に関して何も申し上げることはありません。しかし、それにしても故障者や故障明けの選手を選んで、万全の体制で臨めなかったとしたら、この内容に疑問が残ると思います。

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たかが五輪、されど五輪。野球が五輪で勝っても負けても、各チームのファンにとっては大きな関心事ではないでしょうし、1人も選出されなかったロッテにとっては逆に「ラッキー」と思っているかも知れません。

五輪で野球をやる意味を見出すことが難しいなら、別に競技として五輪にこだわる必要はないと思いませんか?

放送があれば視るのは間違いないのでしょうが。
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『五輪を開催せよ』と言えない民主主義の存在しない国、日本 !?

2021年06月12日 14時55分00秒 | オリンピック


そもそも、アジアに民主主義国家はありません。いや、世界に目を転じても権力者や財界の思い通りに動く世界が「民主主義」と勘違いされてきただけです。

その中でも日本はかなり異常な民主主義形態をとっていますよね。世界に類を見ない『官僚制民主主義』で成り立っている国家です。実権を握っているのは政治家でも国民でもない、学閥に守られた仮想精鋭軍団、公務員と呼ばれる武家社会の亡霊です。



勝者の歴史によって筋書されてきた日本史は段々と化けの皮が剥がれてきました。その中に江戸幕府の遂行した身分制度の誤りもあります。まだ、説としては取り上げられにくいのですが、少なくとも江戸時代には「士農工商」という身分制度は存在しなかったというのは、解明されてきつつあります。では「士農工商」とは何だったのか? これはあくまで職業による区分けに過ぎません。

国家公務員、及び地方公務員
第一次産業従事者
第二次産業従事者
第三次産業従事者


例えば、「百姓は伊勢参り以外に国外へ出てはいけない」などという制約もありませんでしたし、職業による貴賎の分け隔てはなく、武士も町人も地位は同じだったという考え方です。これを勝手に「士農工商」と身分制度に置き換えて徳川方を貶めるように教育したのは明治新政府以降です。簡単に言えば、時の支配者にとってやりやすい方向へと世の中を誘導していたということで、徳川幕府を全否定することが彼らの支配構造には必要だったということです。

そういう教育は戦後になっても続いていて、偏った教育の産物が時々爆発して安保闘争や連合赤軍などの異端闘争に繋がってきたのです。共産主義とは究極の独裁主義だということを他国を見ればわかるのに、それを認めようとしない輩が未だにいるのも日本の教育の為せる業です。支配者が変わってきて、今の日本を支配しているのが国家公務員という名の官僚組織なだけです(笑)

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東京五輪、国民が支持を表明しにくい日本
https://news.yahoo.co.jp/articles/eec3c33950d0a0fc0cc77fb1e393a22e88040450
※以下、引用です。

東京オリンピックの開幕まで40日余りとなった。日本では中止や延期を求める人がなお多い。だが、開催を待ち望んでいる人もいる。

「一番記憶に残るオリンピックは1984年のロス五輪。日の丸を真ん中に掲げて金メダルを首から下げ涙を流している柔道の山下泰裕選手が誇らしかった。カール・ルイス。神様のように速かった。オリンピック選手は、現実に居る『超人』だった。みんなキラキラしていた。当時、子供だった僕には、オリンピックは、『日常』を『非日常』にしてくれる『超人』たちの最高のエンタメだった。だから僕は基本的に五輪肯定派だ。何故なら素直に『超人』たちの祭典が見たいから」

私がツイッターで受け取った東京五輪の開催を支持するメッセージの一部だ。しかし記事で引用する場合は匿名で、という依頼付きだった。そしてそのようなリクエストは一人からだけではなかった。

「東京五輪の開催には賛成です、アスリートの皆さんに5年間の努力を存分に発揮させてあげたいと思います」とコメントをくれた人も、やはり匿名を希望した。

なぜなのか? 理由はたいてい次のようなものだ。

「万が一職場や関係者にご迷惑がかかってしまった場合に責任問題にもなりかねない」

■異論が許されず

東京五輪の中止を求めるオンライン署名サイト「Change.org」の署名は42万筆を突破した。 これは同サイトの日本語版が2012年に開設されて以降で最も多い。

ボランティアは約8万人のうち、およそ1万人が辞退。新型コロナウイルスの患者を受け入れている病院の窓には、「医療は限界 五輪やめて!」とメッセージが貼りだされた。海外選手の事前合宿の受け入れを辞退する自治体も相次いだ。

秋までに行われる衆院選を前に、菅義偉内閣の支持率は政権発足直後と比べ半減。国際オリンピック委員会(IOC)と東京都の契約上、日本政府には五輪の開催契約を解除する権利がないと気づいた時の国民のいら立ちは明らかだった。

国内の議論は極めて感情的なものとなった。異なる意見は許されず、開催に前向きな思いをもつ人はそれを表明するのを恐れた。その影響はアスリートにも及んだ。

白血病から復帰して競泳の東京五輪代表に内定し、多くの人に感動を与えた池江璃花子選手には、出場辞退を求める声がソーシャルメディアで寄せられた。彼女は、「このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事」である反面、「それを選手個人に当てるのはとても苦しい」とツイートした。

またBBCが取材したラグビーの中村知春選手も、「東京オリンピック・パラリンピックをやりたい、と声を大にして言えないのは、それはアスリートのエゴだとわかってるから。 別に何も考えてない訳じゃない」とツイッターに投稿した。

「アスリートが五輪に出たいと言えない、やってほしいという声があげられなくなっている」と言うのはジャーナリストの佐々木俊尚氏だ。健全な議論には何が必要かを論じてきた。

■妥協なき議論

知識の暗記を中心とし、授業でディベートを行わない日本の学校教育も原因の一つとしてあげられる。それが議論の二極化と、妥協を許さない状況を招いていると佐々木氏は言う。

海外で活躍するテニスの大坂なおみ選手や錦織圭選手、ゴルフの松山英樹選手は、コロナ禍で行われる東京五輪についての個人的見解を述べている。一方で、日本のアスリートの多くは意見を公にすることを避けてきた。その背景には、アスリートを「タレント的な無垢(むく)な存在」として見、「政治性を持たないでほしい」と望む世論があると佐々木氏は語る。

そして日本政府は、「安全安心に開催できる」という同じフレーズを幾度も繰り返すばかりだ。

佐々木氏は、「五輪開催に賛成の人、組織委員会や自民党は攻撃されるからと、きちんと説明しなくなってしまった。説明しても無駄だろうとなってしまっている」と説明する。

ツイッターでの発言を名前を出して紹介することを許可してくれた数少ない五輪賛成派の一人である加藤克彦氏は、コミュニケーション不足の問題だと指摘する。

「政府、組織委員会はかなり厳しい感染対策を講じている。プレイブックに書かれている。問題はそれが広く周知されていない事。だから不安が募る。政府、組織委員会はメディアを総動員して感染対策を日本だけでなく世界中で『宣伝』すること。そうすれば安心安全な五輪である事がわかる」

佐々木氏はまた、「ゼロリスク」を求める国民性も背景にあると言う。

「歴史をさかのぼると、原発安全神話というのがありました。リスクはあるんだけれど、エネルギー安定提供が大事だと言うと、少しでも危険があるならやめろという声があがり、絶対に安全と言わないといけない」

「今回も、多少の感染はあるかもしれないけれどという説明をすると怒りだしてしまう」

■事実とデータ

それでは、実際に東京五輪が開催された場合、新型コロナウイルスの感染拡大への影響はどうなのか? 

東京大学大学院経済学研究科の仲田泰祐准教授と藤井大輔特任講師が行ったシミュレーションによると、緊急事態宣言が6月中旬に終了し、国内のワクチンの接種が1日に60万本のペースで進むと仮定した場合、東京五輪が行われないと10月の第3週に東京での1日の感染者数は822人になると見込まれる。

また、海外から選手や関係者など10万5000人が入国し、このうち半数がワクチンの接種を終えている場合は、同時期の1日の感染者の数が842人になると計算した。

一方で、大会期間中に応援に出かけるなど人流が2%増えた場合は同時期の感染者数が1046人となり、6%増えた場合は1600人に増加すると想定。人出が増えるのを抑える必要があるとする結果をまとめた。

一般の国民にも開催に否定的な考えを表明している人は多い。

田村愛子氏は、「中止にしたところで死ぬ人はいない。今の現状であれば開催して死亡する人はでる。子供達の、運動会は中止でオリンピックはなぜ開催するのだろう、という純粋な疑問が胸に突き刺さる」とツイッターでコメント。

高橋正和氏は、IOCは「開催は経済の利益だけを考えていて、人間は死んでもかまわない発想。これはオリンピックの精神の真逆」と言う。

吉村光史氏は「オリンピックは何だか『体育会系産業カルト』みたいになってしまっていて異様。謙虚さも無い。余りにも傲慢な姿勢には驚くより他にない」とのコメントをツイッターで送ってくれた。

海外選手たちの来日が始まり、日本国民の反対世論にかかわらず東京五輪は開催される様子だ。

しかし、なにか間違いが起きた時のコストは大きい。

そして、2011年の東日本大震災からの「復興のシンボル」になると期待された東京五輪は、それが現実的ではなくなったばかりでなく、近年で最も過熱した感情的な議論の的となってしまった。

(英語記事 Japanese who support the Games fear speaking out)


         

五輪開催に反対するのは自由です。しかし、それで受ける選手のダメージに心を配る余裕のない人は、それを論じる資格がありません。

そもそも、古代オリンピックというのは支配者階級が奴隷同士に殺し合いをさせるさまを高みの見物するものだった筈です。近代オリンピックに変わっても、マラソンの距離が開催国の王室の勝手で「私の目の前でゴールしなさい」という我儘から42.195kmになるなど、支配者によって都合が良いように利用されてきました。

IOCとはそれらの成れの果てだと思えば腹も立ちませんし無視もできます。

一番に論じられなければならないのは選手たちの為にどうあるべきかであって、コロナなんぞは後付けでしかないということに気付けるかどうかです。

一部の財閥や富裕層を設けさせる為だけにコロナが利用されていることに気付けば、オリンピックと切り離した議論ができると思いますがね。



あくまで私見を述べました。

信じるか信じないかは・・・!!



お後がよろしいようで

そう、あなた次第です。
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そもそも、尋ねる相手が違うだろうに?

2021年05月19日 10時58分00秒 | オリンピック



そもそも、東京オリンピック・パラリンピックの開催可否に関しては外野がとやかく言うべきものではありません。ただ、オリンピック・パラリンピックに出場する為に命を削ってきた選手の皆さんの努力を無にしてはいけないと思います。

問題視すべきは、それを政争の具にしたがる無能な政治家たちと利権を貪りたい魑魅魍魎が巣くうIOCとおこぼれにありつきたいハイエナどもの集まりであるマスメディアです。

コロナがどうとか、感染拡大への危惧とか、全ては本質からかけ離れた阿呆どもの戯言に過ぎません。

どうすれば選手たちの血が滲むような努力に報いることができるのか? その一点に集中して努力すべきなのですが、そういう姿勢が全く見られないから人々は冷めてしまうのです。

オリンピックが実施されれば、それはそれでちゃんと盛り上がるんですがね(笑)


出典:https://www.amazon.co.jp/

大規模イベントを開催することが、感染拡大を引き起こすなどという政治家たちの暴論を真に受ける必要は一切ないのですが、基本的に日本人の大半は情報弱者なので、決して真実を述べないマスメディアの嘘八百に惑わされ右往左往します。ワクチンに関しても、製薬大手と医師会などの利権を握る奴らの懐を潤す為でしかないのに、それに惑わされて命を懸けるような世紀の大冒険に魅力を感じてはいけません。人々が生きようと死のうと彼らには一切興味がなく、ひたすら私利私欲に凝り固まった悪魔でしかありません。

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錦織圭は「1人でも感染者が出るならばあまり気は進まない。死者がこれだけ出ている、ということを考えれば、オリンピックは死者を出してまでも行なわれることではないとは思う」と語りました。

大坂なおみは「もちろんオリンピックは開催してほしいと思っています」という言葉に加えて「もしオリンピックが人々を危険にさらすのであれば、そして人々が開催を居心地悪く感じているのであれば、私たちは今すぐに議論すべきです」と述べています。

これらをどうとらえて、どういう意図で報道するかは各社の勝手というのが現状です。スポーツ紙などは「オリンピックは開催してほしい」という言葉にフォーカスしています。彼らにとってはオリンピックは最大の飯の種ですから。スポンサー収入に頼らないといけないTV局も新聞社も本音のところは「中止されては困る」と思っていますし、中止されれば会社自体が存亡の危機となります。「コロナ感染拡大」をより深刻そうに報道し恐れさすのも全ては利益の為ですし、利益を失うオリンピック中止を促進するような報道は絶対にしないのです。

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ところで、何でテニスプレーヤーにそれを聞くのか、というところの問題です。テニスやゴルフの選手たちはプロです。野球などもそうですが、「最高峰の戦い」がオリンピックではない選手たちに開催可否を聞くのは卑怯ですよね。彼らはオリンピックに出ることで収入を失いこそすれ、それを補うステータスを得ることもありませんから。

かつて「金メダルで飯は食えない」と語った方があるように、名誉で生きるには日本のスポーツ行政はあまりにも脆弱で貧層です。

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オリンピックに命を懸けてきて、やっとその座を射止めたアマチュアの選手たちにとっては、オリンピックは命なのです。そういう人々に話を聞いてもニュースにならないのでメディアの食指は動きません。

ましてや、そういう命を削って代表権を掴み取った選手に「辞退しろ」だの「中止を訴えろ」だの、強制するような言葉の暴力を匿名で述べるなどというのは、もはや人ではありません。「自分さえよければ人はどうなっても良い」「自らの安全が確保されれば誰が死んでも構わない」という鬼畜のごとき言動なのです。

「コロナに負けるな」はコロナからひたすら逃げ回ることではない筈です。コロナと戦うということは、やるべきことをやって敢然と正面突破することではないのでしょうか? 何百万人を集めるイベントを開催して1人の感染者も出さない、というのが政治家の責任であり、大会主催者の責任です。中止したり、無観客開催などに逃げることは、端っから勝負から逃げた負け犬なのです。そこは絶対に忘れてはいけません。

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責任ある行動が取れて、絶対にコロナに感染しないことが、これから求められるのです。ワクチンは何の手助けにもなりません。本当に安全を求めるなら5年でも10年でも安全で効力のあるワクチンなり、治療薬ができるまで待てるはずですよね。それまで、余命があるかどうかは問題にもなりません。

誰に恥じることなく人生を全う出来たら、それが一番の幸せですよね。



それでも・・・

信じるか信じないかは・・・



そう、あなた次第です!
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スポーツを止めるな! オリンピックを止めるな!

2021年05月14日 06時52分00秒 | オリンピック

東京オリンピックに反対する世論が8割を超えているようですが、何故反対なのかという理由が釈然としません。

何だかマスメディアの扇動に乗せられてただ「不安」だから反対というのでは全く説得力がありません。



あからさまに「スポーツは不要不急」と唱えてはばからないスポーツ嫌いというより、スポーツ音痴の人々の戯言が中止議論の本筋になっているようで、大政翼賛会的行動は民主主義の大敵です。



とはいえ、戦後日本の民主主義は今に続く「官僚制民主主義」であり、主権在民とは名ばかりで、政治家にも力や知識がない為に官僚主権で形式だけを維持してきました。多くの人々は「誰かがやってくれるだろう」という無責任体質が染みついて、日本という国が総無責任体質に固まっています。

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コロナ感染拡大時に「五輪に医療関係者を奪われてはならない」という主張は正論のように見えて、単なる暴論です。医療体制の崩壊を引き起こした一番の要因は医師会自体が利権しか追及していないことなのですが、医療関係者を責めるのはご法度とばかりにメディアが扇動します。まるでその間に金銭授受があるかのような違和感を感じます。

五輪に従事するスポーツ医師団はコロナ治療には従事していませんから、何万人が召集されようがコロナに関する医療体制に影響しません。ヒステリックに煽ることで嫌いなことを排除しようとする輩の暴挙を許してはいけないと思います。

その上、日本にとっては国も東京都もオリンピックを中止する権限はありません。中止できるのはIOCだけです。日本側に許されているのはオリンピックの返上権のみです。返上した場合の違約金などは存在しないのですが、損害賠償請求は受けるでしょう。当然保険には加入しているでしょうが、額によっては賄えるのかどうかは分かりません。

中止した場合のリスクはお金の問題が大きくクローズアップされますが、本質的な問題はそこではありません。

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「スポーツは不要不急な行為」「オリンピックは、IOCや一部の政治家、スポンサー企業や広告代理店のお金儲け」と決めつけ、だから「やめたって構わない」という安易な発言は選手たちへの冒涜でしかありません。東京五輪中止で失われる選手やスポーツ関係者たちの情熱、彼らが失う「人生」そのものへの補償を考えて、そこまで補填してあげることができるなら、どうぞご自由に反対意見を押し付けてください。具体的な代替案もないのに反対だけするのは単なる無責任だけでなく犯罪行為なのだと自覚しないといけませんね。

「スポーツを止めるな!」「オリンピックを止めるな!」

少数意見かも知れませんが、やめることは容易く、実行することは難しいのです。どうやって実施するかを考えること、工夫することが人間に課せられた使命ですから、都知事が投げだしたとしても中止を考えてはいけないのです。それが上に立つものの命懸けの仕事なのですから。



全ては私論ですから聞くだけでも結構ですよ。

よろしくお願いします。
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東京オリンピックの是非を議論する前に考えるべきことがある !?

2021年02月07日 09時32分00秒 | オリンピック

「感染者への差別をやめよう」とメディアは繰り返し呼びかけます。それに関して言わせてもらえば『どの口が言うか!』の一言です。マスメディアが恐怖だの不安だの、必要のない煽りを繰り返して来たからこうなったことに関する反省は皆無なようです。「反省だけなら猿でもできる」という言葉は猿に失礼です。人間は反省しない生き物ですからね。



コロナ禍の現状で東京五輪開催の是非が問われています。本来なら昨年夏に開催されていた筈のオリンピックはコロナの影響で1年延期されました。そして、今夏も開催も混沌とした状態の中で、五輪開催の意味を考えたいと思います。

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下記は、昨年夏に記されたコラムです。筆者は滝口隆司氏。関西大学社会学部卒の毎日新聞論説委員(スポーツ担当)です。

まず、全文を引用します。


1943年10月、明治神宮外苑競技場で行われた学徒出陣壮行会(出典:共同通信)

終戦記念日に考える東京五輪-「幻の1940年大会」と重なる時代の空気
※以下、引用です。

今夏は東京が、そして日本中が五輪の熱狂に包まれているはずだった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期され、来年の開催さえ保証できない状況にある。戦前には1940年の東京五輪が日中戦争の拡大で開催権を返上。アスリートたちも戦地へ送り出された。8月15日は終戦記念日。歴史をたどりながら、当時と同様、閉塞感が漂う時代の五輪を考えてみたい。

第1次大戦、関東大震災、世界恐慌
1940年の東京五輪は、関東大震災からの復興を世界に示す狙いで招致が進められた。震災から17年後、神武天皇即位からの紀元2600年を祝う記念行事に合わせて五輪が計画された。

だが、世界から祝福されるはずの祭典は「幻」に終わった。大会返上へと至る歴史的事実の数々は、まるで現在を重ねるかのように重苦しい空気に満ちている。

1910年代から30年代にかけての世界は不安定な状況にあった。第1次世界大戦は14年から始まったが、その最中には、「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが米国から欧州へと広がり、日本でも多くの死者が出た。大戦による兵士の世界的移動がパンデミックをもたらしたともいわれる。流行は18年から3年近くにわたって続いた。

日本では23年9月1日に関東大震災が起きた。日本の中心部を襲った大地震は、木造家屋の多かった関東地方を壊滅的な状況に陥れた。日本経済は大打撃を受け、首都機能の停止で「震災恐慌」と呼ばれる不況に突入した。

一方、20年代の世界経済は、第1次大戦後の復興需要で潤いを取り戻そうとしていた。ところが、過剰な投資で経済は膨張し、ついにバブルは崩壊。29年10月24日、「暗黒の木曜日」と呼ばれるニューヨーク証券取引所での株の大暴落が、世界恐慌の引き金となった。

そのような時代背景の中で、30年に東京市(当時)の市長に就任したのが五輪招致を熱望した永田秀次郎だ。元内務官僚で、関東大震災時に市長を務めていた。震災1年後に市幹部の人事をめぐる問題で辞任したが、再び市長に返り咲き、廃墟から立ち上がった東京の姿を世界にアピールする機会を考えていた。まさに「復興五輪」の構想だった。

分断社会の中で実現しなかった五輪
だが、世界はますます分断化の様相を示していた。恐慌によって主要国は「ブロック経済体制」を進め、保護貿易によって自国の経済を守ろうとした。国際協調は薄れ、第1次大戦の敗戦国ドイツでは国家主義を強く押し出したナチスが台頭。日本も中国への侵略から経済圏を拡大しようとしていた。

東京五輪の開催は、36年ベルリン五輪の際の国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まった。しかし、37年には日中戦争が始まり、軍備拡張の国内は五輪準備どころではなくなった。返上が決まったのは翌38年7月。開催まであと2年という段階で、東京市や組織委員会の頭越しに日本政府が決断した。

今の状況を見れば、「歴史は繰り返す」という言葉が何より当てはまる。戦争こそ起きていないが、バブル崩壊、リーマン・ショック、東日本大震災、トランプ米大統領ら自国中心主義の台頭、そして新型コロナウイルスの世界的感染拡大。その流れの中で、今回の東京五輪は開催可否が問われている。

杉本苑子「あすへの祈念」が伝えるもの
第2次世界大戦の敗戦を経て、東京はついに五輪開催を実現した。64年10月10日、開会式を国立競技場で見た作家、杉本苑子が残した有名な文章がある。共同通信から配信された随筆「あすへの祈念」(『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』講談社に収容)だ。

「二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。(略)天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。(略)同じ神宮競技場で、世界九十四カ国の若人の集まりを見るときが来ようとは、夢想もしなかった私たちであった」

出陣学徒壮行会の舞台となった明治神宮外苑競技場は、戦後取り壊され、その同じ場所に64年五輪のメーン会場として国立競技場が建設された。2020年五輪に向けて再び建て替えられたが、延期決定後は7月23日の1年前イベントで競泳の池江璃花子がメッセージを発信した以外、まともに使用されていない。

学徒出陣の悲壮な光景と華々しい五輪の開会式。両方を目の前で経験した杉本はこう綴っている。

「きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ」

64年東京五輪閉会式での「平和の映像」
閉会式でNHKのディレクターを務めた片倉道夫は、初めて日本で開かれた五輪のフィナーレをどんな映像で飾ればいいのか、頭を悩ませていた。

相談に行ったのは、関西大学の先輩で日本選手団の団長を務めた大島鎌吉だった。戦前の32年ロサンゼルス五輪の陸上三段跳びの銅メダリストで、その後、毎日新聞のベルリン特派員や運動部記者を務めた人物だ。近代五輪の始祖、ピエール・ド・クーベルタンの思想を日本に紹介し、「跳ぶ哲学者」とも呼ばれた。

「君はオリンピックのテレビ放送をどう考えておるんだ」と大島に聞かれた片倉は「オリンピックは友情と平和の祭典です。単なる世界選手権ではありません」と力説した。大島も「その通りだ」とうなずいた。ただ、片倉には不安も残った。友情の映像は撮れても、平和の映像のイメージが湧かなかったからだ。



1964年東京五輪閉会式、外国選手たちが入り混じり、腕を組んで行進した(出典:時事通信)

当日に向けて、片倉は何枚もの絵コンテを用意し、入念に準備した。式典は各国旗手の入場から始まった。ところが、その直後、予定もしていない光景が目の前に広がった。国に関係なく、選手たちが入り乱れ、日本選手団の旗手を務めた競泳の福井誠が外国の選手にかつがれている。想定外のシナリオだった。

大会が終わった後、大島は「世界平和のためにオリンピックが必要というのは、ああいうことなんだよ」と片倉に言ったという。片倉が撮りたかった「平和の映像」は思わぬ形で成功したのだ。

第2次世界大戦の終結からまだ19年。戦後復興を成し遂げた日本だけでなく、世界中の人々が五輪を通じ、平和の喜びを享受したのは当然のことだった。

五輪はなぜ必要か、原点に戻って考える時
それから半世紀以上がたち、五輪はますます巨大なイベントとなった。テレビ放映権料やスポンサーとの巨額契約に縛られ、酷暑の中、開催時期さえも変更できない。開催国は政治主導で準備を進め、国力を示すかのように、巨額の予算をつぎ込んでいる。

コロナ禍の困難な状況の中で、五輪を取り巻く環境は、「中止が望ましい」「来年は開催できない」という世論が開催を望む人よりも多いという現実に直面している。これほどの逆風は珍しい。

今回の東京五輪は、東日本大震災からの「復興五輪」を唱えたかと思えば、今は「コロナに打ち勝った証しとしての五輪」と言い出している。最初の招致に失敗した16年大会の時は「環境五輪」を掲げていた。コンセプトがころころ変わるのは、五輪の本質に理解がないからではないか。

最近の五輪開催都市(予定地も含め)を見れば、東京との共通項が見られる。12年ロンドンや24年パリ、28年ロサンゼルス。いずれも過去に開催経験はあるが、再び五輪を開く大義はあいまいだ。そうした先進国の首都クラスが、街のリニューアルを求めて開催に乗り出すというのが近年の傾向といえる。

その証拠に、東京は改修するだけで十分だった国立競技場をすべて取り壊して、新たな競技場を建設し、同時に青山地区の再開発を進めている。湾岸地区も整備し、新たに装いを整えて外国からの観光客を迎えようと意気込んだが、青写真通りに事は進んでいない。

そんな今だからこそ、原点に戻って五輪の価値と役割を考える時だ。

グローバル時代の反動として、世界各国は自国の利益を守るために、分断化の傾向を強めている。米国と中国の対立、英国の欧州連合(EU)からの離脱、東アジアにおける日本と周辺国との緊張関係。そうした国際情勢にコロナは拍車を掛け、人間社会そのものも分断されてしまった。

杉本が書いたように、歴史はつながっている。世界中の人々が結びついた「平和」の歓喜を今につなぎ、次の時代に継承する。その熱意を途絶えさせてはならない。



国立競技場=撮影・天野久樹

           

国立競技場は2度建て替えられています。ただ、この場所は昭和18年に学徒出陣壮行会が行われた明治神宮外苑競技場のあった場所だということで、「スポーツと平和」について深く考えさせられる場所であるというのを忘れてはいけません。

そして、世界中を覆っているコロナの闇の中で考えないといけないのは、「オリンピックは全ての現実を超越した夢である」ということです。何があっても、どんなに厳しい状況であっても、乗り越えた先に始まる超現実世界なのだということを噛み締めなければなりません。

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関大の校友会の皆様でもあまりご存知ないことなのですが、今回の五輪を日本に誘致する為に、関西大学校友会は大きな活動を行っています。それは商業活動を飛び越えた純粋な平和の祭典への渇望があったからです。

現状のオリンピックは良し悪しを別としても、莫大な利権の巣窟となりました。コロナ禍の最中で五輪の開催是非は、コロナの感染拡大などは二の次となり、『五輪開催が儲かるか否か?』に集まっています。「儲からなければやめれば良い」という奴らの思惑にコロナが悪用されているに過ぎません。

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開催是非を私が語ることは特に意味を成しませんが、東京オリンピックの開催意義を真剣に考える方々がその可否を決めていただきたいのです。

商業主義も世界情勢もコロナも全く関係ない。五輪とはそういうものだと考えます。「できない理由」を考えるのは人間の得意技です。本来、未来を見据えて正しい決断をできる方なら、「できる可能性」を突き詰めるはずです。

今の時代に嘉納治五郎氏がご存命なら、何を思うのか?

それを思えば簡単に決めてはいけない重大な決断事項なのだと感じます。

もっと議論を尽くさないと!!
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