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謎の決闘で世を去った「早熟な天才」…ガロアが成し遂げた「数の世界を覆した」衝撃的な快挙

2024年09月05日 15時05分39秒 | 科学のはなし




謎の決闘で世を去った「早熟な天才」…ガロアが成し遂げた「数の世界を覆した」衝撃的な快挙

8/27(火) 6:50配信2024




「僕にはもう時間がない」19歳で決闘で死んだ天才数学者ガロア (4/4) - ナゾロジー (kusuguru.co.jp) 


壮絶な死因
彼の死因は決闘だ。


決闘と言われても今の時代あまりピンとこないと思う。しかしガロアは実際に、一人の女性を巡って銃の決闘をすることになってしまい、その勝負に敗れて死んでしまう。


この決闘については陰謀であったという説がある。ガロアは父の影響で政治的な活動に傾倒しており、これを快く思わない者たちによって理不尽な決闘を申し込まれる状況に追い込まれたのではないかというのだ。


真実がどうであったにせよ、この決闘相手は銃の名手で、ガロアは決闘の前から自分が勝負に敗れて死ぬことになると自覚していた。


そこで彼は「僕にはもう時間がない」というカッコイイ走り書きと共に、決闘前夜に徹夜で現在ガロア理論と呼ばれている革新的な数学のアイデアを手紙に書きまとめて親友シュヴァリエへ託した。それはかなり断片的で読み取ることも困難な走り書きや殴り書きも多かったと言われる。


画像
友人に残したというガロアの手紙




ガロアはそれを書き残した後、決闘に向かいそこで19年という非常に短い人生の幕を下ろした。


残された親友は、彼の数学のアイデアをなんとか手紙から読み解き、それを論文にまとめて発表した。この親友の成した仕事もかなり大したものだ。評価されることの少なかったガロアだが、しかしきちんとした理解者も存在していたのだ。


その後、シュヴァリエはガロアの論文を発表するが、難解過ぎるその理論はすぐには理解してもらえなかったという。しかし、現代ガロア理論は広く世界へ知れ渡り、ガロアは偉大な数学者の一人として、歴史にその名を列記される存在になっている。


たとえ思うように評価が得られずとも、死が目前に迫ろうとも、自らのアイデアをきちんと世に書き残したガロア。







現代ビジネス
photo by gettyimages


ナポレオン・ボナパルトがノートルダム大聖堂で自ら戴冠して皇位に着いたのが1804年のこと。しかし、1812年のロシア遠征に始まるナポレオンの没落は、結果的に王政の復古をもたらしました。しかし、それも束の間、1830年の7月革命による立憲君主制を経て、やがて共和制を求める動きが民衆のあいだから生まれてきます。19世紀前半のフランスは、じつに「激動の時代」そのものでした。


そのような激動のフランスに生まれ、激動のなかに散った革命的な数学の天才が、エヴァリスト・ガロア(1811~1832)です。若干17歳、数学に出会って3年の若者が提出した論文が、「革命」と呼ばれ、時代を超えて、いまなお、大きな影響をおよぼしています。


いったい彼は、何をして、何をのこしたのでしょうか? 早熟の天才といわれる彼の思考を、平易に解き明かす『はじめてのガロア』に見てみましょう。


※この記事は、『はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想』の内容を再構成・再編集してお届けします。


音楽、チェス、数学
ガロアの年譜と彼の生きた時代


この3つは、昔から年若き天才が活躍しうる分野だといわれてきた。これらは、みずみずしく柔軟な頭脳と若々しい情熱が、長年の修業によって培ってきた年輪に打ち勝つことができるジャンルなのだ。


数学の分野で、このような年少の天才をひとり挙げるとすれば、誰もがガロアを選ぶだろう。ガロアは1832年5月30日、いまとなっては真相を明らかにするのは不可能と思われる謎の決闘で、腹部に銃傷を負って倒れているところを通りかかった農夫によって発見され、病院に運び込まれたが、翌31日、この世を去った。まだ20歳の若さだった。


ガロアがフランス・アカデミーに提出した『第一論文』と呼ばれている論文『累乗根(るいじょうこん)で方程式が解けることの条件について』と、決闘の前日にしたためた「数学的遺書」は、そのまま歴史の闇に消滅してしまう危機におちいったが、ガロアの無二の親友シュヴァリエの必死の努力のおかげで、散逸だけは免れた。


しかし、ガロアの業績が認められるまでには、それから約半世紀の時間の経過が必要となる。


ガロアの時代のイシュー
代数方程式は、ある数xについて、「足す」「引く」「掛ける」「割る」(もちろん0で割る場合を除く:以下同様)をほどこしてつくられた等式だ。「足す」と「引く」、「掛ける」と「割る」は、それぞれ逆の計算になっている。「掛ける」には、同じものを次々に掛けていく「累乗」という計算もある。その逆は「累乗根を求める」という計算だ。


かつて多くの数学者は、代数方程式をつくるときの計算と逆の計算を用いれば、その方程式を解くことができるはずだと確信していた。「足す」「引く」「掛ける」「割る」は当然として、焦点として浮かび上がったのは「累乗根を求める」計算だ。


実際、2次方程式の解の公式は、古代から知られていた。3次方程式と4次方程式の解の公式は16世紀に発見された。しかし、その後300年にわたっておびただしい数学者が5次方程式の解の公式を求めて奮闘したが、ことごとく刀折れ矢尽きる結果となった。


ガロアの時代、「累乗根を用いて代数方程式を解く」問題は、数学界全体が注目するイシューの一つとなっていたのである。


数学研究の方法を変えた論文
ニールス・アーベル。彼もまた若くしてこの世を去っている photo by gettyimages


そして19世紀はじめ、イタリアの数学者パオロ・ルフィニ(1795~1822)と、ノルウェーの数学者ニールス・アーベル(1802~1829)によってこの問題は意外な結末を迎える。5次以上の一般の代数方程式に、累乗根を用いた解の公式は存在しないことが証明されてしまったのだ。「ルフィニ=アーベルの定理」である。ただしこの証明は特殊かつ技巧的なもので、その本質をえぐりだすことはできなかった。


その数年後、ガロアがまったく斬新な方法で、この問題を解決した。この方法によってガロアは、方程式論を超えて、数の世界の構造そのものを明らかにするという快挙を成し遂げた。ガロア以後、数学研究の方法ががらりと変わっていくのである。さらに驚くことは、この論文を書いたとき、ガロアは弱冠17歳だったという点だ。




この話を聞けば、数学は苦手だ、と思っている方も、若き天才が何をやったのかについて興味を持つことと思う。





数学が苦手でも「わかるガロア」を届けたい
趣味は数学だという人は、残念ながら少数派だ。そこで、多数派を占めていると思われる、数学オンチを自認する方々に語りかけるガロアの数学というような本も可能なのではないか、と思い書きはじめたのが、このたび上梓した『はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想』だ。


そのため、筋金入りの数学嫌いである編集者(いまだに、どうしてそういう人が、科学新書の老舗ブルーバックスの編集者をやっているのか不思議に思っている。ブルーバックス編集部は、科学大好き数学オタクばかり集まっていると思っていたが、どうやらそうではないらしい)に、本人が理解できるまで徹底的に検証してもらうことにした。


だから、自分は数学が苦手だと思っている方でも、安心して本書を手にとることができるはずだ。しかし、それでもなお、この書を手にするのに逡巡している読者がいるかもしれない。そこで、本書で紹介した興味深いトピックのいくつかを、折に触れてこのブルーバックス・ウェブサイトの場を借りて紹介していこうと思う。


では、一緒にガロアの夢の世界へ出発するとしよう。


はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想


わずか20歳で世を去った青年の業績が、なぜ「革命」といわれるのか。彼は人類に何を遺したのか。数学嫌いにも理解できるその真髄!







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