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トランプ大統領は、ウクライナ停戦に向かって、次々と手を打っている。ウクライナの頭越しにロシアのプーチン大統領と交渉して、ロシア寄りの情報に踊らされている。一方で、ウクライナの鉱物資源の利権を入手するようである。第二次世界大戦前の1938年〜1939年の状況の再現かとすら思えてくる。
政治家の個性が過剰に反映
私は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期、つまり戦間期のヨーロッパ政治外交史を研究するために、若い頃、フランス、スイス、ドイツなどに留学した。第一次世界大戦の惨禍を経験したヨーロッパで、なぜ20年後にまた戦争を始めたのか、その原因を探るのが目的であった。
様々な要因があるが、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンといった独裁者たちの思想と行動に大きな原因があったことは間違いない。その成果の一部は、『ヒトラーの正体』、『ムッソリーニの正体-ヒトラーが師と仰いだ男』、『スターリンの正体-ヒトラーより残虐な男』という三部作(いずれも小学館新書)として世に出ている。
『ヒトラーの正体 』(舛添要一著、小学館新書)
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当時の歴史を書くのに、これら独裁者の研究は不可欠であった。今のトランプの言動を見ていると、戦間期の独裁者と変わらない。民主的な選挙で選ばれ、アメリカ憲法の三権分立の仕組みの中で動いているリーダーとはとても思えないのである。
側近の閣僚たちもトランプへの忠誠アピール・ゴマすり合戦に終始している。批判すれば、即更迭である。ヒトラーやスターリンと同じである。処刑されないだけましだというのみである。
ちなみに、共産党一党独裁のソ連とは違って、当時のワイマール共和国も立憲王制のイタリアも自由で民主的な選挙が保障されており、そのルールの下で国民はナチス党を第一党に選び、ムッソリーニを首相に押し上げたのである。しかし、彼らは、いったん権力を握ると独裁への道を歩んでいった。
ダブルのスーツに身を包んだヒトラー(写真:Album/Prisma/共同通信イメージズ)
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ドイツもイタリアもソ連も、第一次世界大戦の戦後処理に不満を抱いており、その国民の不満と不安を利用して、独裁者たちは権力を拡大した。
しかし、アメリカは第二次世界大戦の勝者であり、今でも世界一の大国である。AIなどの最先端技術でも世界をリードしている。ところが、トランプは、安価な外国製品の輸入によって国内産業が衰退しているとして、関税攻勢に出た。地球温暖化よりも、国内の石油・石炭などの資源を活用することを優先させようとしている。
このアメリカ第一主義には、世界一の大国として自由貿易や民主主義を守るという姿勢が見られない。「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)というが、それは逆にアメリカの威信を傷つけている。
トランプは、自由な民主主義や自由貿易を守るという理念などは持ち合わせていないようである。
民族主義の旗
プーチンは、ロシア人が住む地域はロシアが統治すべきだとして、ウクライナ東部のドンバスを占領した。ウクライナ政府も、ロシア語を公用語から外すなどの差別的政策を展開し、住民の不満が高まっていたからである。2014年3月には、住民投票という手段によってクリミア半島をロシアに併合した。ロシア人の住む地域だという理屈である。
この手法は、ヒトラーと酷似している。ヒトラーは、ドイツ民族が一つの国にまとまるべきだという考え(大ドイツ主義)であった。
1935年1月、国際連盟管理下にあった独仏国境地帯のザール地方はほとんどの住民がドイツ人であり、1935年1月の住民投票の結果、ドイツに併合された。国際連盟の下での住民投票であり、これは国際的にも批判はされなかった。
次いで1938年3月、ヒトラーは、大ドイツ主義を掲げてオーストリアを併合した(独墺合邦=アンシュルス)。
ヒトラーの次の標的はチェコスロバキアである。ズデーテン地方に住むドイツ人がアンシュルスに力を得て、ドイツへの併合を求めたからである。
イギリスのチェンバレン首相は、チェコ人とズデーテン・ドイツ人との仲介に乗り出し、1938年9月15日、ヒトラーの別荘、ベルヒテスガーデンでヒトラーと会見し、ズデーテンのドイツへの割譲を承認した。フランス政府も同調し、英仏両国はチェコスロバキア政府にそれを了承するように勧告した。
しかし、ヒトラーはズデーテンを無条件に割譲するのみならず、ポーランドやハンガリーへの領土割譲も要求した。さすがに、チェコスロバキア政府はこれを拒否し、一気に緊張が高まった。そのため、イギリス政府はムッソリーニに仲介を頼み、9月29日に、英仏独伊の4カ国首脳会談が開かれることになった。これが、有名なミュンヘン会談でで、チェンバレン、ダラディエ、ヒトラー、ムッソリーニの4首脳が集まって、チェコスロバキア問題を協議し、ドイツがズデーテン地方を10月以降接収することが確認された。
そうして確定された新しいチェコスロバキアの国境線は、参加各国が保証することになった。9月30日、チェンバレンはヒトラーと会談し「英独共同平和宣言」に署名し、両国がヨーロッパの平和を協議(話し合い)によって解決することを高らかにうたった。帰国したチェンバレンやダラディエは、大群衆の「これで戦争の危機は去った」と歓喜する声に迎えられた。これが、歴史上有名な「ミュンヘンの宥和」である
チェコスロバキアの解体
今のトランプ主導の停戦交渉は、このミュンヘンの宥和の再現のような様相を呈している。チェンバレン役がトランプ、ヒトラー役がプーチンである。チェコスロバキアがウクライナである。
ヒトラーの野心には限りがなく、次はチェコスロバキアの解体を求めていく。ヒトラーはスロバキア人を独立へと煽動し、1939年3月14日、スロバキアは独立した。また、ヒトラーは、ハンガリー国境のカルパト・ウクライナも独立させた。
翌15日、ベルリンでチェコスロバキア大統領はヒトラーと会見するが、ヒトラーは、武力の威嚇によって、チェコスロバキアのドイツへの統合を強要し、プラハへの進軍を開始した。そして、翌16日、ヒトラーは、チェコスロバキアを「ベーメン・メーレン(ボヘミア・モラビア)保護領」としてドイツ国に統合した。こうしてチェコスロバキアは地図上から消滅した。
1939年3月16 日、ドイツ国防軍がチェコスロバキアに進駐。ヒトラーはボヘミアとモラヴィアをドイツの保護領と宣言した(写真:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ)
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トランプは、ゼレンスキーの「無策」を批判し、このままではウクライナが消滅すると述べたが、その発言を聞いて、私は、このチェコスロバキア解体が脳裏に浮かんだ。それはチェンバレンがチェコスロバキアに譲歩を求めた姿勢と同じである。トランプには、国家の主権を守るとか、武力による併合を阻止するとかいった基本的な原則もないのであろうか。
さらに、3月22日には、ヒトラーは、東プロイセンと隣接するリトアニアからメーメルを返還させた。
ポーランドの解体
ヒトラーの次の標的はポーランドである。
対独宥和政策の旗手、イギリスのチェンバレン首相も、1939年3月のチェコスロバキア解体で、さすがにヒトラーの真意に気づいたようで、政策の大転換を図り、3月末にイギリスはポーランドの安全を保障した。フランスもこれに倣った。
ヒトラーがポーランドを奪取するとき、もはや英仏が黙認してくれることは期待できなくなったのである。そこで、ヒトラーが目を付けたのがソ連である。ポーランドを攻撃したとき、その東側にあるソ連までがドイツに刃向かってくると、戦争のときに二正面作戦を強いられる。ヒトラーは、それだけは避けたいと考え、ソ連と秘密交渉を始める。
一方、イギリスやフランスは、ソ連を味方に引き入れることで、ドイツを挟撃できると考えた。
ソ連にとっては、ドイツと英仏を天秤に掛けて、どちらが有利か判断すればよいことになる。英仏側との交渉が思うように進まないのに対し、ドイツとの交渉は着実に進捗し、8月23日夜、独ソ不可侵条約が締結され、世界を驚愕させたのである。
今のトランプはこのときのヒトラー、プーチンはスターリンの立場によく似ている。いずれも、世界の平和ということよりも、自国の国益のみが念頭にある。
ロシア・モスクワの赤の広場で書籍関係の催しを訪れた際、ソ連指導者スターリンの墓の前を通り過ぎるプーチン大統領=2015年6月(写真:ゲッティ=共同)
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トランプがウクライナの鉱物資源の利権を求めるのは、その典型である。ゼレンスキーが求めている安全保障は、ヨーロッパ諸国を頼れという。プーチンも、占領しているウクライナ東部の鉱物資源の共同開発をトランプに提案している。
悪夢の歴史を繰り返してはならない。