古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

遣隋使と遣唐使(2)

2014年04月02日 | 古代史

 前回述べたように 「寶」の語について辞書には『「天子」に関するものを尊んで言う』という用法も確認できます。そのような「寶業」「寶歴」等の語は「煬帝」の「詔」など彼に関することにも使用例が多く確認できます。この事から「寶命」にも「(前)皇帝に関わるもの」という語義があったと考えるのは自然です。それを示すように「煬帝」と「唐」の「太宗」にも使用例が確認できます。

(煬帝の例)
(大正新脩大藏經第五十二卷 史傳部四/二一〇三 廣弘明集卷二十八/?福篇第八/序/隋煬帝行道度人天下敕)
「大業三年正月二十八日。菩薩戒弟子皇帝總持稽首和南十方。一切諸佛十方一切尊法十方一切賢聖 …水滴已微。乃濫觴於法海。弟子階?宿殖。『嗣膺寶命臨御區宇』。寧濟蒼生。而德化弗弘刑罰未止。…」

(太宗の例)
(大正新脩大藏經/第四十九卷 史傳部一/二〇三六 佛祖?代通載二十二卷/卷十一/太宗詔度僧尼建寺)
「(癸巳)《貞観》七年。…十一月。詔曰。三乘結轍濟度為先。八正歸依慈悲為主。流智慧之海膏澤群生。剪煩惱之林津梁品物。任真體道理叶至仁。妙果勝因事符積善。『朕欽若金輪恭膺寶命』。至德之訓無遠不思。大聖之規無幽不察。…」

 「煬帝」と「太宗」は別にいた「皇太子」を廃した後に自分が「太子」となって即位しています。これを「異例」と言えば「異例」と言えるかも知れませんが、この時代「皇太子」が廃された例も他にもあり、その意味では「よくあること」とも言えるでしょう。彼ら自身は前皇帝の息子(皇子)であり、別に一介の武将が成り上がったわけではないし、また「本来なれるはずがない」というような位置にいたわけではありません。つまり「皇太子」ではなかったものの、彼らにも「皇帝」の地位の継承能力と資格は充分備わっていたと考えられます。その意味では特に異例というわけではないと思われます。
 このことは、「天命」と違って「寶命」という用語が使用される場合には「初代」に限らないということを意味します。それは即座に「古田氏」がいうような、「書紀」に出てくる「隋皇帝」からの「国書」というものが「煬帝」からのものではないとは即断できなくなる性質のものと思われます。

 「中国」の歴代王朝の史書に「天命」と「寶命」の使用例を探すと圧倒的に「天命」が多いことに気がつきます。「寶命」はかなり希少な例と言えるでしょう。
 この「寶命」は割と新しい使用法と思われ、「南朝」の「劉宋」の「明帝」の使用例が初出のように思われ、それ以前の古典的な「史書」である「史記」や「三国志」「漢書」「後漢書」などには確認できません。(ただし史書ではないものの「尚書」には確認できます)
 このことは連綿として続く「南朝」の歴代王朝に特に顕著な、「王権」の交替についての特別な意識があったものではないかと思われ、「東晋」から「劉宋」、「劉宋」から「南斉」「梁」そして「陳」へと継承されていった王権交替の大義名分をどのように「規定」していたかを示すものと思われます。これに影響を受けたのが「北朝」の「北魏」以降の各王朝であり、彼らも(特に王権の交替の際に)自らの「大義名分」のありかを示すのに「寶命」を使用するようになっていくのです。
 この事から「寶命」は「前皇帝」との関係を特に強調したい場合に使用されるものであり、それが「初代」との関係を強調しようという意図がある場合が特に多いと言えるでしょう。
 「二代皇帝」は「初代」が開いた「王朝」を継承したわけですが、政権基盤がまだ「不安定」である場合が多く、その場合「初代」の持つ権威を自分の権威と重ねるという行為が必要となるというケースもあったものと思われます。「初代」の持つ大義名分を正統に継承しているというアピールが「二代政権」の正統性を証明するものとして特に必要であったものであり、そのため「寶命」が使用されたものと思われます。

 また、これと同様の論理構造は「禅譲」を受けて「新王朝」を開いた場合においても発生したものと思われます。(南朝の諸国がこれに相当すると思われます)
 「新王朝」においても自らの政権基盤の安定のためには「旧勢力」である「前王朝」の「皇帝」からの権威の継承ということを明確にする必要があったと見られます。このような「寶命」という用語が使用されるケースは、「天」からの「命」ではないという点で「革命」とは異なるものの、「禅譲」を受けた「新王朝」の「初代皇帝」が使用する用語としてはよりふさわしいといえるものだったのではないでしょうか。それは国内外の「諸勢力」に対する「大義名分」としてより「説得的」であると言うところが重要なのではないかと推測されます。つまり「天」からの「命」でありつつ、「前王朝」の持つ大義名分をも引き継ぐという、いわば「一石二鳥」とも言うべき政権奪取の形式であったことを意味する用法と思われるのです。
 これに対し「天命」の例は「初代」に限って使用され、しかも「禅譲」という形式ではないことが明白な例ばかりです。(但し後に記すように「隋の文帝」には「天命」の使用例が多い)

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