ナレーション
道長は、裳着の儀を盛大に執り行う事で、彰子の入内を公のものとした。
紫の上 葵
この姫君を、今まで世人もその人とも知り聞こえぬ、ものげ無きやうり。父宮に、知らせ聞こえてんと思(おほ)しなりて、御裳着の事、人に周くは宣はせねど、なべてならぬ樣におぼし設くる御用意など、いと有り難けれど、女君は、こよなう疎み聞こえ給ひて、年頃万づに頼み聞こえて、まつはし聞こえけるこそ、浅まし心なりけれど、悔しうのみおぼして、清かにも見合はせ奉り給はず、聞こえ戯れ給ふも、苦しう、わり無き物におぼしむすぼほれて、在りしにと非ず成り給へる御有樣を、可笑しうも愛おしうもおぼされて、「年頃、思ひ聞こえし本意無く、√馴れまさらぬ御気色の、心憂き事」と恨み聞こえ給ふ程に、年もかへりぬ。
ー中略ー
「君の御髪は、我削がん」とて
「うたて。所狭うもあるかな。いかに生ひやらんとすらん」と、削ぎ煩ひ給ふ。
「いと長き人も、額髪は、少し短くぞあめるを、むけに後れたる筋の無きや。余り情けけ無からん」とて削ぎ果てて、
「千尋(ちいろ)」と祝ひ聞こえ給ふを、小納言、あはれにかたじけ無しと見奉る。
はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆく末は我のみぞ見ん
と聞こえ給へり。
千尋ともいかでか知らん定めなく満ち干る潮ののどけからぬに
物に書き付けておはす樣、らう/\しき物から、若う可笑しきを、めでたしとおぼす。
玉鬘 行幸
「とてもかうても、まづ御裳着のことをこそは」と思して、その御設けの御調度の、細やかなる清らども加へさせ給ひ、何くれの儀式を、御心にはいとも思ほさぬことをだに、自づからよだけくいかめしくなるを、まして、
「内の大臣にも、やがて、この次いでにや知らせ奉りてまし」と思し寄れば、いとめでたくなむ。
「年返りて、二月に」と思す。
ー中略ー
かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。御櫛の筥など、俄なれど、ことどもいと清らにし給ふて、御文には、
「聞こえむにも、いま/\しき有樣を、今日は忍びこめ侍れど、さる方にても、長き例ばかりを思し許すべうや、とてなむ。哀れに承り、あきらめたる筋をかけ聞こえむも、いかが。御氣色に従ひてなむ。
ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥わが身はなれぬ懸子なりけり
と、いと古めかしうわななき給へるを、殿もこなたにおはしまして、事ども御覧じ定むる程なれば、見給ふて、
「古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。昔は上手にものし給ひけるを、年に添へて、あやしく老い行くものにこそありけれ。いとからく御手ふるひにけり」
など、うち返し見たまうて、
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたる事の難きなり」と、忍びて笑ひ給ふ。
ー中略ー
内大臣は、さしも急がれ給ふまじき御心なれど、珍らかに聞き給ふし後は、いつしかと御心にかゝりたれば、疾く參り給へり。儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしき樣にしなさせ給へり。
「げにわざと御心留め給ふける事」と見給ふも、かたじけなき物から、やう変はりて思さる。
亥の時にて、入れ奉り給ふ。例の御設けをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせ給ふて、御肴參らせ給ふ。御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなし聞こえ給へり。いみじうゆかしう思ひ聞こえ給へど、今宵はいとゆくりかなンべければ、引き結び給ふほど、え忍び給はぬ氣色なり。主人の大臣、
「今宵は、いにしへ樣の事は、かけはべらねば、何のあやめも分かせ給ふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」と聞こえ給ふ。
「げに、さらに聞こえさせやるべき方侍らずなむ」御土器參る程に、
「限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせ給ひける恨みも、いかゞ添へ侍らざらむ」と聞こえ給ふ。
恨めしや沖つ玉藻をかづくまで磯がくれける海人の心よ
とて、なほつゝみもあへず塩たれ給ふ。姫君は、いと恥づかしき御樣どものさし集ひ、つゝましさに、え聞こえ給はねば、殿、
よるべなみかゝる渚にうち寄せて海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し
「いとわりなき御うちつけ事になむ」と聞こえ給へば、
「いとことわりになむ」と、聞こえやる方なくて、出で給ひぬ。
明石姫君 梅枝
かくて、西の御殿に、戌の時に渡り給ふ。宮のおはします西の放出をしつらひて、御髪上の内侍なども、やがてこなたに參れり。上も、この次いでに、中宮に御対面あり。御方々の女房、押し合はせたる、数知らず見えたり。
子の時に御裳奉る。大殿油仄かなれど、御気配いとめでたしと、宮は見奉れ給ふ。大臣、
「思し捨つまじきを頼みにて、なめげなる姿を、進み御覧ぜられ侍るなり。後の世のためしにやと、心狭く忍び思ひ給ふる」など聞こえたまふ。宮、
「いかなるべき事とも思う給へ分き侍らざりつるを、かうこと/\しうとりなさせ給ふになむ、なか/\心おかれぬべく」と、宣ひ消つほどの御気配、いと若く愛敬づきたるに、大臣も、思す樣にをかしき御気配どもの、さし集ひ給へるを、あはひめでたく思さる。母君の、かかる折だにえ見奉らぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、參う上らせやせましと思せど、人の物言ひをつゝみて、過ぐし給ひつ。
かかる所の儀式は、よろしきにだに、いと事多く、うるさきを、片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなか/\にやとて、細かに書かず。
女三宮 若菜上
年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたる樣にもおはしまさねば、万づあわただしく思し立ちて、御裳着のことは、思し急ぐ樣、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。御しつらひは、柏殿の西面に、御帳、御几帳よりはじめて、こゝの綾錦混ぜさせ給はず、唐土の后の飾りを思しやりて、うるはしくこと/\しく、輝くばかり調へさせ給へり。
御腰結には、太政大臣をかねてより聞こえさせ給へりければ、こと/\しくおはする人にて、參りにくゝ思しけれど、院の御言を昔より背き申したまはねば、参り給ふ。今二所の大臣たち、その残り上達部などは、わりなき障りあるも、あながちにためらひ助けつゝ參り給ふ。親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、内裏、春宮の残らず參り集ひて、いかめしき御急ぎの響きなり。院の御こと、このたびこそとぢめなれと、帝、春宮をはじめ奉りて、心苦しく聞こし召しつゝ、蔵人所、納殿の唐物ども、多く奉らせ給へり。六条院よりも、御とぶらひいとこちたし。贈り物ども、人々の禄、尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせ給ひける。
中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせ給ひて、かの昔の御髪上の具、故ある樣に改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、 奉れさせ給ふ。宮の権の亮、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に參らすべく宣はせつれど、かゝる言ぞ、中にありける。
さしながら昔を今に伝ふれば玉の小櫛ぞ神さびにける
院、御覧じつけて、あはれに思し出でらるゝ事も有けり。あえ物けしうはあらじと譲り聞こえ給へる程、げに、おもだゝしき簪なれば、御返りも、昔の哀れをばさし置きて、
さしつぎに見るものにもが万世を黄楊の小櫛の神さぶるまで
とぞ祝ひ聞こえ給へる。
夕霧六の君
右の大殿は、六の君を宮に奉り給はむ事、この月にと思し定めたりけるに、かく思ひの外の人を、この程より先にと思し顔にかしづき据ゑ給ひて、離れおはすれば、
「いとものしげに思したり」と聞き給ふも、いとほしければ、御文は時々奉り給ふ。
御裳着の事、世に響きて急ぎ給へるを、延べ給はむも人笑へなるべければ、二十日あまりに着せ奉り給ふ。同じゆかりにめづらしげなくとも、この中納言をよそ人に譲らむが口惜しきに、
「さもやなしてまし。年ごろ人知れぬものに思ひけむ人をも亡くなして、もの心細くながめゐ給ふなるを」など思し寄りて、さるべき人して氣色とらせ給ひけれど、
「世の儚さを目に近く見しに、いと心憂く、身もゆゝしう覚ゆれば、いかにも/\、さやうの有樣はもの憂くなむ」と、すさまじげなる由、聞き給ひて、
「いかでか、この君さへ、おほな/\言ひ出づる事を、物憂くはもてなすべきぞ」と恨み給ひけれど、親しき御仲らひながらも、人樣のいと心恥づかしげにものし給へば、えしひてしも聞こえ動かし給はざりけり。
女二宮 宿木
十四になり給ふ年、御裳着せ奉り給はむとて、春より打始めて、異事なく思し急ぎて、何事もなべてならぬ樣にと思しまうく。いにしへより伝はりたりける宝物ども、この折にこそはと、探し出でつゝ、いみじく営み給ふに、女御、夏ごろ、物の怪に患ひ給ひて、いとはかなく亡せ給ひぬ。言ふかひなく口惜しき事を、内裏にも思し嘆く。
心ばへ情け/\しく、懐かしきところおはしつる御方なれば、殿上人どもも、
「こよなく騒々しかるべきわざかな」と、惜しみ聞こゆ。大方さるまじき際の女官などまで、忍び聞こえぬは無し。
ー中略ー
さるは、女二の宮の御裳着、ただこの比になりて、世の中響きいとなみののしる。万づの事、帝の御心一つなるやうに思し急げば、御後見なきしもぞ、なか/\めでたげに見えける。女御のしおきたまへることをばさるものにて、作物所、さるべき受領どもなど、とりどりに仕うまつることども、いと限り無しや。
ー中略ー
かくて、その月の二十日余りにぞ、藤壺の宮の御裳着の事ありて、またの日なむ、大将參り給ひける。夜のことは忍びたる樣なり。天の下響きていつくしう見えつる御かしづきに、たゞ人の具し奉り給ふぞ、なほ飽かず心苦しく見ゆる。
紅梅大納言姫君達 紅梅
君たち、同じ程に、すぎ/\大人び給ひぬれば、御裳など着せ奉り給ふ。七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませ奉り給へり。