新古今和歌集の部屋

源氏物語 湖月抄 手習 中将の帰途小野へ寄る

中将の詞
哀なりけることかな。いかなる人にかあらん。
世中をうしとてぞさる所にはかくれゐけん
   住吉物語などを思へるにや。住吉の尼君のもとに姫君
かし。むかし物語のこゝちもするかなとの
の隠れ居ければ也
給。またの日かへり給にも、過がたくなんと
        けふ立より給べしとの心つかひししたると也
ておはしたり。さるべき心づかひしたりけ
れば、昔思出たる御まかなひの少将のあま
          出家の装束なれば也
なども、袖ぐち、さまことなれどもおかし。
いとゞいやめにあま君はものし給。物語゙の
      中将の詞也。浮舟の事をとふ也
ついでに、忍びたるさまにものし給らんは、
            尼君の心也
誰にかとゝひ給ふ。わづらはしけれどほの
かにもみつけ給てけるをかくしがほなら
          尼君の詞也。師むすめの事を忘かね
んもあやしとて、わすれわび侍て、いとゞ
 
 
 
頭注
又の日かへり給ふにも 中将の
歸りさまに又小野へたちよる
也。是は浮舟の事下心に
あるなるべし。
昔思ひ出たり御まかな
ひの少将の尼なども
娘の在世を思ひ出て、
中将をもてなす少将の
尼と也。御まかなひとは
中将をもてなす心也。
いとゞいやめに 中将の又
來るに催されて娘の事
思ひ出る也。
かくしがほならんもあやし
中将の見付給ふての
給ふほどにかくしていと
尼公の心也。
て罪ふかきと也
つみふかうのみおぼえ侍つるなぐさめに、こ
          浮舟の事也
の月ごろみ給ふる人になん。いかなるにか、い
ともの思しげきさまにて、世にありと人
にしられんことをくるしげに思て物せら
るれば、かゝる谷そこには、たれかはたづね
きこえんと、思つゝ侍るを、いかでかはきゝあ
                 細中将の詞也
らはさせ給つらんといらふ。うちつけ心有
てまいりこんにだに、山ふかきみちのか
ごとはきこえつべし。まして覚しよそふ
             細毎事にと也。師異事歟
らんかたにつけては、こと/"\にへだて給ま
           いと思ひしげきさまにてと尼君の
じきことにこそは。いかなるすぢに世をう
いひしに付て也
らみ給ふひとにか、なぐさめきこえばやなど
 
 
 
 
頭注
うちつけ心有て 浮舟に懸
想の心ありて來らんにも此
遠き山道を分し心ざし
をかこちよりてしゐく
したしみ侍らんと也。
覚しよそふらん 昔の御む
すめに思ひよそへ給へばと也。
浮く舟を御むすめのかは
りとおぼさばもとのまゝに
我ものに見んといふ心也。
 
            孟中将歸るとて也
ゆかしげにの給ふ。いで給とてたたうがみに、
 中将
  あだしのゝ風になびくなをみなへしわ
れしめゆはんみちとをくとも。とかきて、
少将の尼していれたり。あま君゙もみ給て、
孟手習君に返しあれと尼公のいふ也  むこの中将の事也
この御かへりかゝせ給へいと心にくきけつき
給へるひとなれば、うしろめたくもあらじと
          手習の君の詞也。手跡を卑下によせてとり
そゝのかせば、いとあやしきてをば。いかでか
あはぬなり
とてさらにきゝ給はねば、はしたなきこと
           文の詞也
なりとて、あま君゙聞えさせつるやうに、よづ
かず人にゝぬ人にてなん。
 尼君              畢ぬ也
  うつしうへて思みだれぬをみなへしうき世
                 細中将の心也。只今は限りと也
をそむく草の庵に。とあり。こたみはさも
頭注
あだしのゝ あだなる風に
はなびきそと也。あだし
野名所といへる儀あれ
ども只あだなるといふ
心可然。京極黄門も
名所の中に不載之ヲ
云々。尋べし。かく尼
君のもとにある人なれ
ば、心やすくいひなびけん
と思ふ故に、うちひら
めに我しめゆはんな
ど中将のよめる也。
 
 
聞えさせつるやうに
前に世にありて人に
しられんことをくるし
げに思ひてといえること也
うつしうへて 尼君の
哥也。つれて來て我
もくやしき。我いふやう
頭注
にもし給はぬ人なればと
なり。
ありぬべしと、思ひゆるしてかへりぬ。文など
わざとやらんもさすがにうゐ/\しうほ
のかにみしさまは忘ず。物思らんすぢなに
ごとゝしらねど哀なれば、八月十日あまり
      こたか         中将のきたる也
のほどに、小鷹がりのついでにおはしたり。
抄少将尼の事也
例のあまよび出て、一目みしよりしづ心な
           浮舟の返答あるべきさまならぬ也
くてなどの給へり。いらへ給べくもあらねば
    尼君の詞
あま君゙√まつちの山のとなんみ給ふるといひ
     中将に尼君の對面也     中将の詞也 
出し給。たいめんし給へるにも、心ぐるしきさま
にてものし給ときゝ侍し人の御うへなんの
            中将も物思ふ身といふ心也
こりゆかしく侍る。なにごとも心にかなはぬ
           山居もしたしたけれどゆるされじと也
心ちのみし侍れば、やまずみもしはべらま
 
 
頭注
こたみはさもあるべし
こたみは此度也。うち
つけに返事などせぬはこ
とわりぞと中将の思ふ也。
小鷹がり 小鷹狩(ハツトリカリ)
万葉新鮎√いはせ野に秋萩
しのぎ駒なべて小鷹
かりだせでや別れん
 
まつちの山 √誰をかも
まつちの山の女郎花秋
とちぎれる人ぞあるら
し。両義有。一義は此
尼君の心もゆかざるこ
とをそばより中将に
ちぎることもあるべし
と也。又義は手習君の
性しうねくてうちと
けて物ものたまはざる
頭注
は別にちぎる人あるかと也。此説可然歟。是は別人に浮舟の契れる事有なるべしと
心ぐるしきさにて。中将の詞也。先日尼公のものがたりに、手習のきみを物
思ふ人ときゝ侍しに一入中将のゆかしくおもふと也。
 
 

「哀なりけることかな。如何なる人にかあらん。世の中を憂しとて
ぞ、さる所には隠れ居けんかし。昔物語の心地もするかな」と宣ふ。
又の日、帰り給ふにも、
「過ぎ難くなん」とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、
昔思出たる御賄ひの少将の尼なども、袖口、樣異なれどもおかし。
いとど、涙(いや)目に尼君は物し給ふ。物語の序でに、
「忍びたる樣に、物し給ふらんは、誰にか」と問ひ給ふ。煩はしけ
れど、仄かにも見付け給ひてけるを隠し顔ならんもあやしとて、
「忘れわび侍て、いとど罪深かうのみ、覚え侍つる慰めに、この月
頃見給ふる人になん。如何なるにか、いと物思ひしげき樣にて、世
にありと人に知られん事を苦しげに思ひて、物せらるれば、かかる
谷底には、誰かは訪ね聞こえんと、思ひつつ侍るを、如何でかは聞
き現させ給つらん」と答(いら)ふ。
「うちつけ心有りて、參り來んにだに、山深き道のかごとは聞こえ
つべし。まして思し装ふらん方に付けては、事毎に隔て給ふまじき
事にこそは。如何なる筋に世を恨み給ふ人にか、慰め聞こえばや」
などゆかしげにの給ふ。いで給とて畳(たたう)紙に、
 中将
  あだし野の風に靡くな女郎花我標め結はん道遠くとも
と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見給て、
「この御返り書かせ給へ。いと心憎き気(け)つき給へる人なれば、
後ろめたくもあらじ」とそそのかせば、
「いとあやしきてをば。いかでか」とて更に聞き給はねば、
「はしたなきことなり」とて、尼君、
聞えさせつるやうに、世づかず人に似ぬ人にてなん。
 尼君
  移し植へて思ひ乱れぬ女郎花憂き世を背く草の庵に
とあり。こたみは、さも有りぬべしと、思ひ許して帰りぬ。
文などわざとやらんも、流石にうゐうゐしう、仄かに見し樣は忘ず。
物思ふらん筋、何事と知らねど哀なれば、八月十日余りの程に、小
鷹狩の序でに御座したり。例の尼呼び出て、
「一目見しより靜心なくて」など宣へり。答(いらへ)給ふべくも
あらねば、尼君、
「√真土の山のとなん見給ふる」と言ひ出だし給ふ。対面し給へる
にも、心苦しき樣にて、物ものし給ふと聞き侍りし人の御上なん。
残りゆかしく侍る。何事も心に叶はぬ心地のみし侍れば、山住みも
し侍らま
 
 
※√いはせ野に
万葉集巻第十九 4249
 以七月十七日遷任少納言仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館二首
                     大伴宿禰家持
石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹(はつと)猟だにせずや別れむ
伊波世野尓 秋芽子之努藝 馬並 始鷹猟太尓 不為哉将別
 既満六載之期忽値遷替之運 於是別舊之悽心中欝結 拭な之袖何以能旱 因作悲歌二首式遺
 
※京極黄門 藤原定家の奥書か?
 
引歌
※√真土の山の
新古今和歌集巻第四 秋歌上
 題しらず
                  小野小町
たれをかもまつちの山の女郎花秋とちぎれる人ぞあるらし
 
よみ:たれをかもまつちのやまのおみなえしあきとちぎれるひとぞあるらし 隠
 
意味:待乳山の女郎花は誰を待っているのでしょうか。秋には結婚を約束した人でもいるのでしょうか。
 
備考: 歌枕 待乳(真土)山 奈良県五條市と和歌山県橋本市の間の山(峠)で待つを掛ける。異本「秋を」。歌枕名寄。
 
和歌
中将
あだし野の風に靡くな女郎花我標め結はん道遠くとも
 
よみ:あだしののかぜになびくなをみなへしわれしめゆはむみちとほくとも
 
意味:浮気の風になびかないでおくれ。女郎花よ。私は自分のものにするつもりだ(玉上琢彌 角川文庫)
私訳 死にたいという化野の風に誘われないようにしてくれ、女郎花のような君よ。私が君を守ってあげるから。例え小野への道は遠くても。
 
備考:あだし野は、京都嵯峨の念仏寺辺りで、死体の廃棄場所だった。化とは、死体が朽ちて行く事。このあだし野を歌った歌は、かなり初期のもので用例が少なく、細流抄も徒との掛詞としており、現在も徒との掛詞としている。
 
尼君
移し植へて思ひ乱れぬ女郎花憂き世を背く草の庵に
 
よみ:うつしうゑておもひみだれぬをみなへしうきよをそむくくさのいほりに
 
意味:宇治からこの小野へ移って来たばかりで、思い乱れておりおります、女郎花の樣な人は。世を逃れて出家した人ばかり居るこの粗末な草の庵に。
 
備考 乱れぬは、「〔完了〕…てしまった。…てしまう。…た」の意で、湖月抄でも「畢ぬ也」としている。
小野 惟喬親王墓周辺より
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄  九条禅閣植通
※河 河海抄  四辻左大臣善成
※細 細流抄  西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄  牡丹花肖柏
※和 和秘抄  一条禅閣兼良
※明 明星抄  西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
 
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