今、日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法華経を置けり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵のありやうかくのごとし。その所のさまをいはば、南に懸樋あり、岩を立てて水をためたり。林の木近ければ、爪木をひろふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきのかづら跡埋めり。谷しげけれど西晴れたり。観念のたよりなきにしもあらず。
平家物語 一方系覚一本
御庵室に入せ給ひて、障子を引明て御覽ずれば、一間には來迎の三尊おはします。中尊の御手には、五色の絲をかけられたり。左には普賢の畫像、右には善導和尚、竝に先帝の御影を掛け、八軸の妙文、九帖の御書も置かれたり。蘭麝の匂に引かへて、香の煙ぞ立上る。彼淨名居士の方丈の室の中には、三萬二千の床を竝べ、十方の諸佛を請じ奉り給ひけんもかくやとぞおぼえける。障子には諸經の要文ども、色紙にかいて所々におされたり。其中に大江定基法師が、清凉山にして詠じたりけん、「笙歌遙に聞ゆ、孤雲の上、聖衆來迎す、落日の前。」とも書れたり。少し引のけて、女院の御製とおぼしくて、
思ひきや深山の奧にすまひして雲井の月をよそに見んとは
さて側を御覽ずれば御寢所とおぼしくて、竹の御竿に、麻の御衣、紙の御衾など懸られたり。
平家物語百二十句本
御障子を開きて御覧ずれば、来迎の三尊東向きにおはします。中尊の御手には、五色の糸をかけられたり。普賢の絵像、善導和尚ならびに先帝の御影なんどもましましけり。御前の机には、八軸の妙文、九帖の御袈裟をかけたり。総じて諸卿の要文共色紙書きて、所々に置かれたり。蘭麝の匂ひにひきかへて、香の煙ぞ心細く立ち上る。
昔大江の定基法師、天台山の麓、清涼山に住しける時、詠じたりし、
笙歌遥に聞こゆ孤雲の上、
聖衆来迎す落日の前
と書かれたり。かの浄名居士の方丈の室の内に三万六千の榻を並べ、十方の諸仏を請じ奉りけんも、かくやとぞ覚えたる。
少しひきのけて、女院の御製とおぼしくて、
思ひきや深山の奥に住まひして雲井の月をよそに見んとは
一間なる障子を、開きて御覧ずれば、竹の御棹に、麻の御衣、紙の衾をかけられたり。さしも本朝漢土の妙なる類を尽くし、綾羅錦繍の粧も、さながら夢になりにけり。
源平盛衰記
さて女院を待進させ給、其程に彼方此方たゝずませ給て御覧ずれば、いさゝ小竹に風そよぎ、後は岸前は野沢、山月窓に臨では閨の燈を挑、松風軒を通て草庵の枢を開。世にたゝぬ身の習とて、憂節しげき竹柱、都の方の言伝は、間遠にかこふ竹垣や、僅に伴なふ者とては、賤が爪木の斧の音、正木の葛青累葛、長山遥に連て、来人稀なる里なれば、適言問者とては、巴峡の猿の一叫、塒定むる鶏、孀烏のうかれ音、樒の花柄花笥、かつ見るからに哀也。満耳者樵歌牧笛声、遮眼者竹煙松霧之色とかや。懸閑居の有様を、忍てすごさせ給けんと、叡覧あるに付ても、御涙ぞ進ける。草の庵の御住居、幽なる有様、瓢箪屡空、草滋顔淵之巷云つべし。柴の編戸も荒はてて、竹の簀子もあらは也。藜蓼深鎖、雨湿原憲之枢とも覚えたり。何事に付ても、御心を傷しめずと云事なし。偖も竹の編戸を打叩、叡覧あれば、昔の空薫に引替て、香の煙ぞ匂たる。僅に方丈なる御庵室を、一間は仏所に修て、身泥仏の三尺の弥陀の三尊、東向に被立たり。来迎の儀式と覚えたり。中尊の御手には五色の糸をかけ、御前机に浄土の三部経を被置ける。内に観無量寿経あそばしさしたりと覚くて、半巻ばかり巻れたり。傍に一巻の巻物あり。披いて御覧ずれば、高倉先帝、安徳天皇を始進せて、太政入道、小松大臣、屋島の内府以下、一門の卿上雲客、御身近被召仕ける諸大夫侍に至まで、姓名を被書注たる過去帳也。毎日に読あげ弔はせ給にやと思召ければ、竜顔に露を諍て、御衣の袖にもかゝりける。仏の左には普賢の絵像を懸、御前には八軸の法華経を被置たり。右には善導和尚の御影を奉懸、浄土の御疏九帖、往生要集を被置たり。北の壁には、琴琵琶各一帳立られたり。管絃歌舞菩薩の来迎の粧を、思召准かと覚たり。又時々の御心慰にや、古今、万葉、源氏、狭衣、其外の狂言綺語の物語、多取散されて、折々の御手すさみ、昔の御遺と覚えて哀也。御傍障子の色紙形には、諸経の要文共被書たり。中にも一切業障海、皆従妄想生、若欲懺悔者、端坐思実相と見えたり。昇沈不定の悲、此死生彼歎も、真如平等の理に迷、妄想顛倒の心より起れり。懺悔の方法によらず、争恵日の光に照されんと覚たり。諸行無常、是正滅法、生滅々已、寂滅為楽とも被書たり。此文の心は、一切の行は皆無常也。無常の虎の声は、明々暮々耳に近づけ共、世路の趨に聞えず、雪山の鳥の音は、日々夜々に今日不知死と鳴共、棲を出て忘れず、冥途の使身に競、屠所羊の足早して、親に先立子、子に先立親、妻に別るゝ夫、夫に後るゝ妻、形は芭蕉の風に破るゝが如く、命は水の泡、波に随て消ぬ、万法皆しかなれば、諸行無常と置れたり。若有重業障、無生浄土因乗弥陀願力、必生安楽国とも被書たり。妄想懺悔も便なく、寂滅為楽も不覚ば、弥陀悲願の被済、往生安楽憑ありと覚たり。又三河入道寂照が大唐国へ渡つゝ、清涼山の竹林寺に詣て、終焉をとりける夕べに、詠じける詩もあり。
草庵無人扶杖立 香炉有火向西眠 笙歌遥聞孤雲上 聖衆来迎落日前
雲の上にほのかに楽の音すなり人にとはばやそら聞かそも
此詩歌の次に、女院角ぞ思召そへられける。
乾くまもなき墨染の袂かなこはたらちねが袖のしづくか
御腰障子にも、女院御手と思くて
思きや深山の奥に住居して雲井月をよそにみんとは
消がたの香の煙のいつまでと立廻べき此世なるらん
此外、四季の歌も書れたり。
古の奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
うちしめり菖蒲ぞかをる郭公啼くや五月の雨の夕暮
久竪の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照まさるらん
さしも亦問れぬ宿と知ながらふまでぞ惜き庭の白雪
此山のはに三尺の閼伽棚をつくり、樒入たる花かつみ、霰玉ちる閼伽の折敷ぞ被置たる。御傍の障子を引開御覧ずれば、御寝所と覚えて、蕨のほどろを折敷て、鹿の臥猪床を諍へり。夜の御衾とおぼしくて、白御小袖の怪げなるに、麻の衣、紙の御衾取具して、竹の竿に被懸たり。此等を御覧じ廻すに付ても、片山影の柴の庵の御住居、一品ならず哀に御心すまずと云事なし。昔は玉台を瑩き、錦帳の中に、漢宮入内の后として明し暮し給つゝ、漢家本朝の珠玉各数を尽し、綾羅錦繍の御衣色色袖を調て、御目に御覧ずる物とては、源氏狭衣の狂言をのみ翫、御耳に触物とては、詩歌管絃の音をのみ聞召しに、今は柴曳結庵中、げに消易露の御住居、盛者必衰の理、眼の前にあらはなりと、思召続させ給にも、昔逢坂の蝉丸が、山階や藁屋の床に住居つゝ、往来の人に身をまかせ、月日を送けるにも、
世中はとても角ても有ぬべし宮もわらやも果しなければ
と詠じける事も限あれば、
平家物語の来迎三尊とは、阿弥陀が観音、勢至両菩薩を従えて死者を迎える様子を表したもので、両脇侍は動きを表す為、立て膝で前屈の姿勢となったもの。
普賢菩薩は、両庵とも置かれているが、何故置かれているかは、様々な解釈が有る。
方丈記と源平盛衰記は、同一単語が、「竹柱」(流布本)、「爪木」、「正木の葛」、「簀子」、「弥陀」、「往生要集」、「普賢の絵像」、「琴琵琶各一帳立」、「古今、万葉、源氏、狭衣、其外の狂言綺語の物語(和歌、管弦、往生要集の抄物)」、「閼伽棚」、「蕨のほどろを折敷」と有る。これだけ一致する詞が有り、両者に関係が無いと言うことは出来ない。
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