遠浦帰帆
かぜむかふ雲の
うきなみたつと
みて
かへる
釣りせぬさき
舟人 に
瀟湘八景為相歌 遠浦帰帆
風むかふ雲のうき波立つと見て釣せぬさきに帰る舟人
武者小路中納言実陰
(寛文元年(1661年) - 元文3年9月30日(1738年))
江戸時代前期から中期にかけての公卿、歌人。号は超嶽院。子は武者小路公野と高松重季。
実父は正親町三条家流の公家西郊実信であったが、大伯父で堂上の武者小路公種の養子となり武者小路家を継ぐ。
和歌の師である霊元上皇から古今伝授を受け、また三条西実教にも師事した。清水谷実業、中院通躬らとともに霊元院歌壇における代表的な歌人であった。弟子に似雲がいる。
非参議・参議として長らく朝廷に仕え、宝永四年(1703年)には勅使として関東に下向した。正徳五年55歳のとき中納言に任じられた。 また享保九年(1724年)64歳のときにはさらに大納言に昇進。
享保年間には甲府藩主・柳沢吉里は中御門天皇の勅命を得て、中院通躬ら7人の公家に甲斐の名所を詠んだ和歌を作らせ、これらの歌を「甲斐八景」と定めた。
平成29年9月17日 壱點陸壱/九枚