新古今和歌集の部屋

春歌下 能因 入相の鐘 筆者不明色紙コレクション

能因法師  山ざとの

 はるの夕ぐれきてみれば

  あひの鐘にはな

         ぞちり
           ける

 
 
新古今和歌集巻第二 春歌下
 山里にまかりてよみ侍りける
         能因法師
山里の春の夕ぐれ来て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける
 
よみ:やまざとのはるのゆうぐれきてみればいりあいのかねにはなぞちりける 定隆雅 隠
 
意味:山里に春の夕暮れ時桜を見に来てみれば、夕日が沈む時を告げる鐘が響き渡って、その音に誘われるように花が散っていました。
 
作者:のういん988~?俗名橘永やす。出家して摂津古曾部に住んだので古曾部入道と呼ばれる。藤原長能に和歌を学び、諸国を行脚し、歌枕を訪ねた。
 
令和5年1月10日 壱 神保町

コメント一覧

jikan314
@chisei 遅生様
謡曲三井寺に使用されているのは、覚えていましたが、道成寺にもと言うのは忘れていました。怨念に駆られたシテが詠じるには、ちょっと不向きかと存じますが、謡曲作者のイメージかと存じます。🐍🐍🐍
この二曲、山寺の鐘と漢詩の楓橋夜泊(張継)が同じく使用されており、両曲作者不明も案外同一人物かも知れませんね。🔔🔔🔔
この歌をイメージした時、その風景の印象は、それぞれ違うと思いますが、私には、後世のわびさびの美しさ、無常感なども有ると思っております。
又御來室頂ければ幸いです。
ネットオークションではなく、古本屋で買いました。たまには覗いてみるのも良いものですね😃
chisei
自閑さん、教えてください。
能、道成寺では里の女がこの歌をうたった後、吊り鐘に飛び込みます。優美な中に不気味さを漂わせています。
それに対して、もともとの能因の歌は、暮れゆく山里の春を、少し寂しげな情感をこめてよんだものと理解してよいでしょうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「新古今和歌集」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事