宮内卿
主な出詠
正治二年(1200年)
新宮三首歌合
正治二年後鳥羽院後度百首
建仁元年(1201年)
千五百番歌合
薄く濃き野辺のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ
片枝さすをふのうらなし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ
老若五十首歌合(二月十六、十八日)
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり
からにしき秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝に嵐吹くなり
新宮撰歌合(三月)
ふるさとの便り思はぬながめかな花散るころの宇津の山越え
仙洞句題五十首(九~十二月)
花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
月をなほ待つらむものかむら雨の晴れ行く雲の末の里人
霜を待つ籬の菊の宵のまにおきまよふ色は山の端の月
竹の葉に風吹きよわる夕暮の物のあはれは秋としもなし
八月十五夜和歌所歌合(撰歌合 八月十五日)
心ある雄島のあまの袂かな月やどれとは濡れぬものから
まどろまで眺めよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ声
水無瀬恋十五首歌合(九月十三日)
聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは
建仁二年(1203年)
俊成卿九十之賀(建礼門院右京大夫集)十一月三日
五條の三位入道俊成九十に滿つと聞かせおはしまして、院より賀たまはするに、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしとて、師光入道の女宮内卿の殿に歌は召されて、紫の糸にて院の仰せ事にておきて参らせたりし
ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ
元久元年(1204年)
春日社歌合
寂しさを我が身一つにこたふなりたそがれ時の峰の松風
無名抄 俊成卿女宮内卿兩人歌讀替事
此人はあまり歌を深く案じて病に成りて、一度は死に外れしたりき。父の禪門何事も身のありての上の事にこそ。かくしも病になるまでは、いかに案じ給ふぞ。
と諫められけれども用ゐず、終に命もやなくてやみにしは、そのつもりにや有りけん。
寂蓮は此事をいみじがりて、兄人の具親少將の、哥に心を入れぬをぞ憎み侍し。
寂蓮 建仁二年七月二十日没