家隆は、詞きゝて颯/\としたる風骨を詠まれし也。定家も執しおもはれけるにや、新勅撰には家隆の哥をおほく入れられ侍れは、家隆の集のやう也。但少し亡室の躰有りて、子孫の久しかるまじき哥ざま也とて、おそれ給ひし也。
雅經は秀句をこのまれしほどに、あるまじき事の少々ありけるにや。又同類を存じられずして、人の哥おほく取りて詠まれけるにや。
雅經は新古今の五人の撰者の内に入り侍りしかども、其比堅固の若輩にてありしかば、撰者の人數に入りたる計りにて、家には記録なども有るまじき也。
雅經は定家の門弟たりし程に代々みな二條家の門弟の分なり。公宴などにて懷紙を三行五字に書かるばかりぞ、雅經の家のかはりめにてあれ、其外は何にてもたゞ二條家に同じ者也。
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