栗岡三位殿奥方御筆
君ならでだれかは
みせむ梅のはな
色をもかをも
しる人ぞしる
正親町実徳卿御筆
寂蓮法師
さびしさはその色
としもなかりけり
槙たつ山の秋の
ゆふ暮
古今和歌集巻第一
春歌上
むめの花ををりて人におくりける
とものり
君ならて誰にか見せむ梅花色をもかをもしる人そしる
新古今和歌集巻第五
秋歌上
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
読み:さびしさはそのいろとしもなかりけりまきたつやまのあきのゆうぐれ
意味:寂しさは、その風景が必ずしも原因と言うことでは無いが、真木が霧の中から突然現れる秋の夕暮れは(その風景だけで)とても寂しい。
備考:建久二年閏十二月十題百首。八代集抄、釈教三十六人歌合、定家十体、美濃の家づと、新古今抜書抄、九代抄、九代集抄、聞書連歌
三夕
正親町実徳
文化11年(1814年)-明治29年 1896年)幕末の公家、明治期の官僚・華族。通称・亀久麿。
山城国京都で権大納言正親町実光の三男として生まれ、兄の死去に伴い、文政元年家督を継承。文政7年に元服し昇殿を許され、左近衛権少将、右近衛権中将、参議、権中納言などを歴任し、安政6年に権大納言に任じられた。
安政5年、日米修好通商条約締結の勅許案を巡り、案文の変更を求めた。
元治元年の禁門の変では長州藩側として動き、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられ、慶応3年1月に赦免された。
王政復古後、慶応4年参与に就任し、兼皇太后宮大夫、大宮祗候などを歴任し、明治2年から明治3年まで皇太后宮大夫を務めた。
平成29年5月6日 壱
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