新古今和歌集の部屋

平家物語巻第十二 一 重衡切られ2

し奉る。三位の中将なのめならずよろこび、これに大納
言のすけのつぼねの、御わたり候が、本三位中将殿のたゞ
今ならへ御とをり候が、立ながらげんざんにいらんと候と、人を
いれていはせられたりければ、北の方いづくやいづらとて、はしり出
て見給へば、あいずりのひたゞれに、折ゑぼしきたる男の、やせ
くろみたるが、えんによりゐたるぞ、そなりける。北の方みす
のきはちかくいでゝ、いかに、ゆめかやうつゝかこれへいらせ
給へと宣ひける、御こゑを聞給ふにつけても、たゞさきだつ
ものは涙なり。大納言のすけ殿は、めもくれ心もきえはてゝ、
しばしは物もの給はず。三位中将、みす打かづき、なく/\
宣ひけるは、こぞの春津の国、一の谷にて、いかにも成べかりし
身の、せめてのつみのむくひにや。いきながらとらはれて、京
かまくらにはぢをさらすのみならず、はては南都のだい
しゆの手へわたされて、きらるべしとてまかり候。あはれいかに
もしてかはらぬすがたを、今一度見もし、みへ奉らばやとこそ
思ひつるに、今はうきよに、思ひをく事なし。これにてかしらを
そり、かたみにかみをも奉らせたう候へ共、かゝる身にまかり
なり候へば、心に心をもまかせずとて、ひたいのかみをかきわけ、
くちのおよぶ所を、すこしくひきつて、これをかたみに御らん
ぜよとて、奉り給へば、北のかた日ごろおぼつかなうおぼしけ
るより、今一しほ、思ひのいろやまさられけん、引がづいて
ぞふし給ふ。やゝ有て北のかた、涙をおさへで宣ひけるは、二
位殿ゑちぜんの三位のうへのやうに、水のそこにもしづむ
べかりしか共、まさしう此よに、おはせぬ人共きかざりしかば、
かはらぬすがたを今一度、見もしみへばやと思ひて社、うきな
がら給ふまでもながらへたり。今までながらへつるは、もしやと
思ふたのみも有つる物を、さてはけふをかぎりにて、おはすらん
事よとてむかし今の事共、の給ひかはすにつけても、たゞ
つきせぬものはなみだなり。北のかたあまりに御すがたのし
 

平家物語巻第十二
  一 重衡のきられの事
し奉る。三位の中将なのめならず喜び、
「これに大納言の佐の局の、御わたり候が、本三位中将殿のただ今奈良へ御通り候が、立ながら見參に入らんと候」と、人を入れて、言はせられたりければ、北の方、
「いづくやいづら」やとて、走り出て見給へば、藍摺りの直垂に、折烏帽子着たる男の、痩せ黒みたるが、縁に寄り居たるぞ、そなりける。北の方御簾の際近く出でて、
「いかに、夢かや現か、これへ入らせ給へ」と宣ひける、御声を聞き給ふに付けても、ただ、先立つものは涙なり。大納言の佐殿は、目もくれ、心も消え果てて、暫しは物も宣はず。三位中将、御簾打かづき、泣く泣く宣ひけるは、
「去年の春、津の国、一の谷にて、いかにも成べかりし身の、せめての罪の報ひにや。生きながら捕らはれて、京鎌倉に恥を曝すのみならず、果ては南都の大衆の手へ渡されて、切らるべしとて罷り候。哀れいかにもして、変はらぬ姿を、今一度見もし、見へ奉らばやとこそ思ひつるに、今は憂き世に、思ひ置く事無し。これにて頭を剃り、形見に髪をも奉らせたう候へ共、かかる身に罷りなり候へば、心に心をも任せず」とて、額の髪を掻き分け、口の及ぶ所を、少し食ひ切つて、
「これを形見に御覧ぜよ」とて、奉り給へば、北の方、日比覚束なうおぼしけるより、今一入、思ひの色や勝られけん、引がづいてぞ臥し給ふ。
やや有て北の方、涙を抑へで宣ひけるは、
「二位殿、越前の三位の上のやうに、水の底にも沈むべかりしかども、まさしうこの世に、おはせぬ人ども、聞かざりしかば、変はらぬ姿を今一度、見もし見へばやと思ひてこそ、憂きながら給ふまでも長らへたり。今まで長らへつるは、もしやと思ふ頼みも有つる物を、さては今日を限りにて、おはすらん事よ」とて昔今の事共、宣ひ交はすに付けても、ただ尽きせぬ物は涙なり。北の方、あまりに御姿の萎
 
※二位殿 平時子
 
※越前の三位の上 越前三位は平通盛でその上(北の方)は小宰相の事。
 

平重衡公墓 木津川市 安福寺
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