祝のこヽろを
よみ侍ける
皇太后宮大夫
俊成
君が代はちよとも
さヽじあまの戸
や
いづるつきひの
かぎりなけれ
ば
歌:君が代は千代ともささじ天の戸やいづる月日の限なければ
読み:きみがよはちよともささじあまのとやいづるつきひのかぎりなければ
備考:五社百首。
八代集抄、美濃の家づと、九代抄、九代集抄
筆者:樋口弾正大弼宣康
宝暦四年(1754年)-文政五年(1822年)三月二十三日没六十九歳。権中納言正二位。冬康次男。
天明二年(1782年)十二月二十二日従三位 弾正大弼
同三年 踏歌節会外弁
天明六年(1786年)正月十四日 正三位
享和三年(1803年)二月三日 参議
同 年 十二月四日辞。叙従二位
文化十年(1813年)六月十日権中納言。七月三日辞退。
文化十一年(1814年)十月二十六日 除服宣下。叙正二位
国史大系57巻 公卿補任より
したがって、この掛軸は、1782年~1803年に書かれたもの。
平成27年12月26日 貮