前北斎
百人一首 乳母が絵説
在原業平
千早振
神代もきかず
龍田川
からくれなゐに
水くゝるとは
伊勢物語百六段
むかし、男、親王たちの逍遥したまふ所にまうでて、龍田河のほとりにて、
ちはやぶる神代も聞かず龍田河
からくれなゐに水くくるとは
古今集
二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に
龍田川に紅葉流れたる絵を描けりけるを題にてよめる
業平朝臣
百人一首十七
宝暦十年(1760年) - 嘉永二年四月十八日(1849年)
江戸時代後期の浮世絵師
百人一首うばがゑとき 横大判揃物39.3×25cm
天保六年~天保七年頃
百人一首のうち、27枚制作された。乳母が子供に、百人一首を教える時に、絵で説明するという想定で、葛飾北斎76歳頃筆。
版元 大江戸木版社
彫 原田
摺 板倉
江戸時代後期の浮世絵師
百人一首うばがゑとき 横大判揃物39.3×25cm
天保六年~天保七年頃
百人一首のうち、27枚制作された。乳母が子供に、百人一首を教える時に、絵で説明するという想定で、葛飾北斎76歳頃筆。
版元 大江戸木版社
彫 原田
摺 板倉
令和2年4月12日 壱點七