最勝四天王院障子歌 13首
最勝四天王院は、鎌倉幕府の調伏を願って、後鳥羽院が1205年に白河に建立。1220年に情勢が切迫したため、壊した。建永2年(1207年)6月最勝四天王院障子に46カ所の名所を書き、屏風歌を十歌人に詠ませた。つまり新古今和歌集竟宴後の歌となる。
第二春歌下
133 吉野山 太上天皇
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの
第三夏歌
184 浅香沼 藤原雅經
野邊はいまだ淺香の沼に刈る草のかつみるままに茂る頃かな
259 清見関 左衞門督通光
清見がた月はつれなき天の戸を待たでもしらむ波の上かな
第四秋歌上
290 高砂 藤原秀能
吹く風の色こそ見えねたかさごの尾の上の松に秋は來にけり
第五秋歌下
526 鈴鹿川 太上天皇
鈴鹿川ふかき木の葉に日かずへて山田の原の時雨をぞ聞く
第六冬歌
636 宇治河 太上天皇
橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治のあけぼの
637 宇治河 前大僧正慈圓
網代木にいさよふ波の音ふけてひとりや寝ぬる宇治のはし姫
649 鳴海浦 藤原秀能
風吹けばよそになるみのかたおもひ思はぬ浪に鳴く千鳥かな
650 鳴海浦 左衞門督通光
浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥鳴くなり
第十六雜歌上
1577 阿武隈川
藤原家隆朝臣 君が代にあふくま川のうもれ木も氷の下に春を待ちけり
第十七雜歌中
1651 布引 藤原有家朝臣
ひさかたの天つをとめがなつごろも雲居にさらす布引の瀧
第十八雜歌下
1723 大淀 藤原定家朝臣
大淀の浦に刈りほすみるめだに霞にたえてかへる雁がね
第十九神祇歌
1900 小塩山 前大僧正慈圓
小鹽山神のしるしをまつの葉に契りし色はかへるものかは