新古今和歌集の部屋

万葉集草壁皇子挽歌による島の宮の位置の考察

万葉集巻第二の挽歌に、草壁皇子の薨去を悼んだ「皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首」が有り、その中の184番
東乃 【多藝能御門】尓 雖伺侍 昨日毛今日毛 召言毛無
東の【たぎの御門】に侍へど昨日も今日も召す言もなし
と言うものが有る。

これらの歌などから、草壁皇子は、明日香の橘に、周りに池を配置した嶋宮を造り、住んだとされる。

嶋宮は、古くは蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」と呼ばれ、現在発掘されている島庄遺跡と推定されている。

万葉集全註釈では、大きな池がある事から宮殿は飛鳥川の西岸にあったとしている。

しかし、古今集よみ人知らずの歌に、
世の中はなにか常なる飛鳥川きのふの淵ぞけふは瀬になる
とある通り飛鳥川は、普段の水量は少ないが、一旦まとまった雨が降ると濁流となって氾濫を起こしていたと考えられる。
そんな水害のおそれのある場所には、宮殿は建てない。

万葉集178番の「多藝」とは、一般的な滝では無く、水の流れの激しい所で、滾、激の意で有る。つまり、池からの排水が高低差により流れ出ている水路の近くの門と解して良い。
飛鳥川の橘付近で、急流となる箇所は無い。
高台の上に周囲にコ形の池を配置して、島の様に見える宮殿だったと考える。

では、池の水は、どうすれば良いかと云うと飛鳥川の上流から分水して引き入れれば良い。

それが出来る場所は限られて来る。

参考文献
万葉集全註釈 武田 祐吉著 角川書店
明日香村文化財に関する情報 調査報告等 島庄遺跡情報
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