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いかばかり■■■ふ山のふか■■■
と入りぬる人まどふらむ
摩訶毘廬遮那 命のほど
昔の契り 宿世
※■は、手などで見えなかった部分
○引歌 古今和歌六帖 第四 恋 1980
いかばかり恋ひてふ山の深けれは入りと入りぬる人惑ふらむ
「故院の上も、かく御心には知ろし召してや、知らず顔を作らせ給ひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ」と、近き例を思すにぞ、恋の山路は、えもどくまじき御心混じりける。
○摩訶毘盧遮那とある部分
例の、五十寺の御誦経、また、彼の御座します御寺にも、摩訶毘盧遮那の。
○命のほど
「人より先なりけるけぢめにや、取り分きて思ひ習ひたるを、今に猶悲しくし給ひて、暫しも見えぬをば苦しき物にし給へば、心地のかく限りに覚ゆる折しも、見え奉らざらむ、罪深く、いぶせかるべし。今はと頼みなく聞かせ給はば、いと忍びて渡り給ひて御覧ぜよ。かならずまた対面賜はらむ。あやしくたゆくおろかなる本性にて、ことに触れて愚かに思さるゝ事有りつらむこそ、悔しく侍れ。かかる命のほどを知らで、行く末長くのみ思ひ侍りける事」
○昔の契りとある部分
恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とて鳴く音なるらむ
これも昔の契りにや
○宿世とある部分
同じ筋なれど、思ひ悩ましき御ことならで、過ぐし給へるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世、口惜しくさう/"\しく思せど、
御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れ給ひし程、女御の君の御座せし有樣など思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世を背き給ひし人も恋しく、樣々にもの悲しきを、かつはゆゝしと言忌して、
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を參るとて、「めざましき女の宿世かな」と、己がじしはしりうごちけり。
「宮をば、今少しの宿世及ばましかば、我が物にても見奉りてまし。心のいとぬるきぞ悔しきや。院は、たび/"\さやうにおもむけて、しりう言に物給はせけるを」と、ねたく思へど、少し心やすき方に見え給ふ御氣配に、あなづり聞こゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。
高き交じらひにつけても、心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながら過ぐし給へるやうなる心やすきことは無し。その方、人に優れたりける宿世とは思し知るや。
「かく、世の例ひに言ひ集めたる昔語り共にも、徒なる男、色好み、二心ある人にかゝづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひに寄る方ありてこそあンめれ。あやしく、浮きても過ぐしつる有樣かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」
「いと難き御ことなりや。御宿世とか言ふ事はべなるを、もとにて、かの院の言出でて懇ろに聞こえ給ふに、立ち並び妨げ聞こえさせ給ふべき御身の覚えとや思されし。この比こそ、少しもの/\しく、御衣の色も深くなり給へれ」
「なほ、かく逃れぬ御宿世の、浅からざりけると思ほしなせ。自らの心ながらも、うつし心には非ずなむ、覚え侍る」
女房など、物見に皆出でて、人少なにのどやかなれば、うち眺めて、箏の琴懐かしく弾きまさぐりて御座する氣配も、さすがにあてになまめかしけれど、「同じくは今ひと際及ばざりける宿世よ」と、猶覚ゆ。
彼の人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮、尽きせずわり無き事に思したり。院をいみじく懼ぢ聞こえ給へる御心に、有樣も人の程も、等しくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、大方の人目にこそ、なべての人には優りてめでらるれ、幼くより、さる類ひ無き御有樣に馴らひ給へる御心には、めざましくのみ見給ふ程に、かく悩みわたり給ふは、哀れなる御宿世にぞ有りける。
宿世など云ふらむ物は、目に見えぬわざにて、親の心に任せがたし。生ひ立ちたむ程の心使ひは、猶力入るべかンめり。よくこそ、数多方々に心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいらざりし程は、さう/"\しのわざや、樣々に見ましかばとなむ、嘆かしき折々有りし。