新古今和歌集の部屋

明月記 元久元年六月十五日 行遍

明月記
元久元年六月
十五日天晴る。…略…今日祇園に神馬を立てらる。例の如し。まず御幣(仕丁を相具し願文を持つ)、次で神馬十匹(十列なり。御随身之に乗る)、近武以下なり。あかり馬二疋。兼澄の子男兼廉等之に乗る(近春落ちて死す。小屋立なり)。例の出でおはしますの後、宿所(九条)に帰る。小浴し、僵れ臥す。夜に入り熊野の行遍法橋来たりて談る。歌人なり。

法橋行遍
哀傷歌
  なくなりたる人の数を卒塔婆に書きて歌よみ侍りけるに
見し人は世にもなぎさの藻塩草かき置くたびに袖ぞしをるる 定
恋歌四
  題しらず
なごりをば庭の浅茅に留め置きて誰ゆゑ君が住みうかれけむ 定
雑歌上
  月明き夜定家朝臣に会ひて侍りけるに歌の道に心ざし深
  きことはいつばかりのことにかと尋ね侍りければ若く侍
  りし時西行に久しく相伴ひて聞きならひ侍りしよし申し
  てそのかみ申しゝことなど語り侍りて帰りてあしたにつ
  かはしける
あやしくぞ帰さは月の曇りにし昔がたりに夜やふけにけむ ナシ
雑歌下
  題しらず
たのみありて今行末を待つ人や過ぐる月日を歎かざるらむ 定

コメント一覧

jikan314
Re:Unknown
kunori様
御来室ありがとうございます。さてご質問ですが、
行遍に定家が、
「いつ頃から和歌をやっているのですか?」
と聞いたら、行遍は
「若い時、西行に随行して教えて貰いました。」と当時の昔話をして帰った後で次の日送ったら歌です。
西行が熊野で修業していた年数も分かっているそうです。
kunorikunori
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori
自閑さま
行遍、ありがとうございました!
質問です。
雑歌上の「歌の道に心ざし深きことはいつばかりのことにかと尋ね侍りければ…」は行遍が定家に尋ねたのでしょうか?
それとも、定家に尋ねられた言葉だったのでしょうか? 侍り…がキーワードなのでしょうが…

1204年6月の月夜 翌年には法眼になっているので、その前に会いに行ったのかもしれませんね。

では、よろしくお願いいたします。
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