紫心
くらしていで給を、れいのと、くちおしうおぼせど、い
まはいとようならはされて、わりなくはしたひまつ
葵
はさず。おほいとのには、れいのふともたいめんし給は
ず。つれ/\とよろづおぼしめぐらされて、さうの御こ
とまさぐりて、√やはらかにぬる夜はなくてとうた
左大臣
ひ給おとゞわたり給ひて、一日のけうありしこと
左大臣詞 しだい
きこえ給。こゝらのよはひにてめいわうの御世、四代
をなん見侍ぬれど、此たびのやうにふみどもき
やうさくに、まひがく、ものゝねどもとゝのほりて、よは
ひのぶることなん侍らざりつる。みち/\のものゝ上゛ず
どもおほかるころほひ、くはしうしろしめしとゝのへ
させ給へるけなり。おきなもほど/\まひ出ぬべ
源詞
き心ちなんし侍しときこえ給へば、ことにとゝの
へをこなふことも侍らず。たゞおほやけごとにそ
しうなるものゝしどもを、こゝかしこにたづね侍し
なり。よろづのことよりは、りうくはえんまことに、こう
たいのれいともなりぬべくとみ給へしに、ましてさかゆ
くはるに立いでさせ給へらましかば、世のめいぼくに
や侍らましときこえ給。べん中将などまいり
あひて、かうらんにせなかをしつゝ、とり/"\にものゝ
ねどもしらべあはせてあそび給。いとおもしろし。か
朧月
のありあけの君ははかなかりしゆめをおぼしいでゝ、
いと物なげかしうながめ給。とうぐうには、う月゛ばかり
とおぼしさだめたれば、いとわりなうおほしみだれた
源
るを、おとこ君゛もたづね給はんに、あとはかなくは
あらねど、いづれともしらで、ことにゆるし給はぬあた
りに、かゝづらはんも人わろく、思ひわづらひ給に、や
よひのはつかあまり、みぎの大とののゆみのけちに、か
んだちめみこたちおほくつどへ給て、やがてふちの
花のえんし給。花ざかりはすぎにたるを、√ほかのちりな
ふたき
んとやをしへられたりけん。をくれてさく桜二木ぞ、い
とおもしろき。あたらしうつくり給へるてんを、宮たちの
御もぎの日、みがきしつらはれたり。はな/"\とものし給との
暮らして出で給ふを、例のと、口惜しうおぼせど、今はいとよう習はされ
て、わりなくは慕ひまつはさず。
大殿(おほいとの)には、例の、ふとも対面(たいめん)し給はず。つれ
づれと、万づおぼし巡らされて、筝の御琴まさぐりて、「√やはらかに、
寝(ぬ)る夜はなくて」と歌ひ給ふ。大臣渡り給ひて、一日の興(けう)有
りし事聞こえ給ふ。「ここらの齢ひにて、明王の御世、四代(しだい)をな
ん見侍りぬれど、この度のやうに、文共警策に、舞、楽、物の音共、とと
のほりて、齢延ぶる事なん侍らざりつる。道々の物の上手ども多かるころ
ほひ、くはしうしろしめし調へさせ給へるけなり。翁もほどほど舞ひ出で
ぬべき心地、なんし侍し」と聞こえ給へば、「ことに調へ行ふ事も侍らず。
ただ公事に、そしうなる物の師どもを、ここかしこに尋ね侍りしなり。万
づの事よりは、柳花苑、真に、後代の例ともなりぬべくと見給へしに、ま
してさかゆく春に立ち出でさせ給へらましかば、世のめいぼくにや侍らま
し」と聞こえ給ふ。弁、中将など参りあひて、高欄に背中押しつつ、とり
どりに、物の音ども調べ合はせて遊び給ふ。いとおもしろし。
かの有明の君は、儚かりし夢をおぼし出でて、いと物歎かしう眺め給ふ。
春宮には、卯月ばかりと、おぼし定めたれば、いとわりなうおぼし乱れた
るを、男君も尋ね給はんに、跡儚くはあらねど、いづれとも知らで、こと
に許し給はぬ辺りに、かかづらはんも、人悪ろく、思ひ煩ひ給ふに、弥生
の二十日余り、右の大殿(おほいとの)の弓の結(けち)に、上達部、親
王達多く集へ給ひて、やがて藤の花の宴し給ふ。花盛りは過ぎにたるを、
「√ほかの散りなん」とや教へられたりけん。遅れて咲く桜二木(ふたき)
ぞ、いとおもしろき。新しう造り給へる殿(でん)を、宮達の御裳着の日、
磨きしつらはれたり。華々と物し給ふ殿(との)
引歌
√やはらかにぬる夜はなくて
催馬楽 貫河(一部)
貫河の やはら手枕 やはらかに 寝る夜はなくて 親さくるつま
親さくる つまは まして るはし
√ほかの散りなん
古今集巻第一 春歌上 伊勢
亭子院歌合の時よめる
見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし