尾張廼家苞 四之上
下句は、我は人をおもふに、人は我をおもはざるは、同じ心なら
ざるに,せめては我をいふ心をなりとも,我と同じ心ぞと思ひてなぐ
さめんと也。(一首の意,人にいとはるゝやうなうき身故,我さへいとふほどに,いよ/\
いとひ給へ、我身をいとふ心ばかりは、人もわれも同じ心なりとて、心を
なぐさめんと也。同じ心に思はざる故に、同じ
心に我をいとひなりともせんといふ也。 )だにといふ詞二ツあり上なるはす
らの意、下なるはなりともの意也。
題しらず 殷富門院大輔
あすしらぬ命をぞおもふおのづからあらばあふ夜をまつにつけても
あすしらぬ命をぞおもふおのづからあらばあふ夜をまつにつけても
本歌拾遺、いかにしてしばし忘れむ命だにあらばあふ夜をまつにつけても
のありもこそすれ。初二句は、あすしなんもしられぬ命なる
ことをかなしくおもふ也。おのづからあらばゝあらばおのづから
といふ意にて、あらばゝ命のあらば也。命だにあらば、逢夜もありもすべ
ければ、そのあふ夜をまつ也。一首の
意は、今はかやうにつれなくても、命さへあるならば、長い年月の中には、もしヒヨツと逢
れるかもしれぬ故其折をまつにつけても、命といふ物があすもしらぬ物故、それがき
にかゝる
となり。逢夜をまつとは、あふともあらんかと待をいふ。
八條院高倉
つれもなき人のこゝろはうつ蝉の空しき恋に身をやかへてむ
つれもなき人のこゝろはうつ蝉の空しき恋に身をやかへてむ
(人の心はういとかゝりたり。むなしき恋とはあはぬこひを云。身をかふるはしぬる事也。
一首の意は、われになびかぬ人の心がうい故、所詮もない恋に、命をうしなふ事かと也。
西行
何となくさすがにをしき命かなありへば人やおもひしるとて
(一首の意、人にいとはれておしき命にてはないはづなれど、何となく命がおしい、其故は、
生て年へてこひするならば,終にはいつまでもかはらず我をこふとおもひしる折があらうかとて也.)
おもひしる人あり明の世なりせばつきせず物はおもはざらまし
人有明といひかけ,つきせずに月をいへる,いやしきたくみにて,いと
うるさし。(大かたはさる事なれど、此歌はこれをむねと
よみたるなれば、一むきにはいひがたし。)そのうへ有明の月、
此歌にいさゝかもよせなき事也。(それは作者も心得のうへの事なるべし。
何のよせもなき有明の月を、二ツの
秀句にいひたるがめづらしとて、撰集には入しなるべし。
させる深き意はなけれど、げにめなれぬことにてはある也。)