尾張廼家苞 三
宿かるべき時をいへり。 をちこちとは本哥の詞を
もていへるにて、信濃なる浅間がたけにたつけぶり
をちこち人のみやはとがめぬ。 かなたこなた
の山をみわたしたるさま也。
宜秋門院丹後
みやこをばあまつ空ともきかざりき何ながむらん雲のはたてを
本歌、ゆふぐれは雲のはたてに物ぞおもふ あまつそら
なるひとを
こふ
とて。云〃この本歌によりて、くものはたてといへる
にて、夕ぐれになる也。いとほのかなれど、これはさる事なるべし。
又題のもじ落してよむも、此ころの
常なり。一首の意は、みやこをばあまつ空にある物とは聞及ばざり
し事なり。それに何故に籏のやうにたなびく雲をながむる
事やらんと也。ながむるとは、雲のはたて
をながめて、都こひてものおもふなり あまつそら本
歌のことば也。
秀能
艸枕ゆふべの空を人とはゞなきてもつげよ初厂の聲
秀能
艸枕ゆふべの空を人とはゞなきてもつげよ初厂の聲
上句、我旅の夕のさまを、故郷人のとはゞ也。空とは厂の
縁にて、其時のけしきをもいへり。その時のけしきにて、厂の
縁の詞なりとあるべし。 なき
てもつげよとは、かなしきよしを告るを云。旅ねの夕の悲
しきよし也。 悲しき
さまをみし人に告るには、泣るゝ物なれば也。四ノ句、かくさだ/"\としたる
事ともおもはれず。厂の告る
はなくなれば、なきてもといへるなれど、語勢
に啼泣の趣をそへて、あはれにおもはせたる也。なきてといふをかろくみて
は哥の魂なし。
旅の心を 有家朝臣
ふしわびぬしのゝの小笹のかり枕はかなの露や一夜ばかりに
四ノ句、露の心なくいふかひなきをはかなしといへりと聞ゆ。俗にば
かなと云、
と同意也。なきは無の義にあらず。おもひはかりのなき事也。俗語と同言ながら、清濁
異にて、俗語はあなづりたる語勢なるを、雅言のうへにはさしもあらず。
よのつねにいふはかなしの意にてはきこえがたし。よのつねと
は、いかなる
事かもしられず。今一義あへなき意に
いへるもあり。それにはあらず。 一夜ばかりには、一夜ばか
りなるにの意なり。ふしもかりも一よもさゝの縁なり。一
首の意は、たゞ一夜ばかりのかりねなれば、露も心すべき事
なるに、しげく置て、かやうにふしわびさするは、さても心なく
いふかひなき露哉といへるなり。此説の
のごとし。
石清水歌合に旅宿嵐
岩がねの床にあらしをかたしきてひとりやねなむさよの中山
岩がねの床にあらしをかたしきてひとりやねなむさよの中山
(岩がねの床は、旅のわびしき限也。嵐をかたしくは、旅態のわびしき限なり。
ひとりやねなんは、旅情の詫しき限也。さよの中山は、旅程のわびしき限なり。)
旅の歌 藤原業清
誰となき宿の夕を契にてかはるあるじを幾夜とふらん
誰となき宿の夕とは、或抄に、夕ぐれになれば誰となく
宿ればかくよめりといへるもさる事なり。(今時のはたごやをおもひ
ていふ也。此心にはあらず。)
又おもふに誰となきは宿のあるじの事にてもあるべし。(此心
なり。
俗に行がゝりの所〃とまるといふ義、
思設たることのなきころなり。 )さては四ノ句とかけ合よろしき也。
夕を契にてとは、夕となれば(必)宿るべきを契にてといふ意也。
(此注は聞取がたし。契るとは、因縁にてといふ事。一夜やどるも深き縁がありてといふ
意なり。一首の意、行がゝりにて、誰とおもひさだめたる事はなけれど、夕になれば)