尾張廼家苞 五之上
春のころ大乗院より人につかはしける
慈圓大僧正
見せばやな志賀の唐崎ふもとなる長柄の山の春のけしきを
心あらん人にみせばや云々の哥より出たり。別ニ一首の哥なるべし。
多かる中には趣の似たる
事もなどかいでこざらん。さるまゝに、それは何の歌により、くれは其歌に
本づけりといひ立ん事よ。さる事しりてもやくなしと我はおもふ也。 二三ノ句
志賀の辛崎を麓にみるよしなれども、をもじなきゆゑに
をもじ用なる詞つゞきにはあらず。なるはにある
の約、志賀の辛崎がふもとにあるといふ事也 さは聞えがたくて、志賀
の唐崎といふ高山のふもとなる長柄の山ときこえて
いかゝ。一首の意はしがの辛崎がふもとにある長柄の山の
春のけしきの面白さを、心ある人にみせたいなアと也。
題しらず
柴の戸に匂はん花はさもらばあれながめてけりなうらめしの身や
咲る花に心のとまれるを、あるまじきことゝおもひかへして、花は
いかばかりおもしろく咲にほへりとも、さもあらばあれ、世をすてゝ柴
の庵にすむ身の、心をとゞむべきにはあらざるに、はかなくながめて
けりなといひて、花に心をとゞめし我身を恨みたる也。みな誤
解なり。
三ノ句、よししるするにもせよといふ意。柴の戸に匂はん花をながむるはよしながむる
にもせよ也。こゝに浮世のことに物おもひをして空をばながめじとおもふにといふ
事をそへてみるべし。三ノ句の語勢と四ノ語勢よりいでくる意ばへ也。四ノ句は
物をおもひて空をながめし事哉と歎きたる意。五ノ句は、っさてもくちをしき我身
よと歎き
たるこゝろ。上句と下句との間に何とかや詞たらぬこゝちす。もし
正義
をえられたらん事は、三四句ノ間にそへてみる詞は、たやすく
うかひ來るわざなるを、誤解せられたる故、ことはたらず。 又うらめしの身や
といへるも、此歌にはいかゞなるいひざま也。例のてにをはをそへて、上句
へつゞけて、一段にしてみんとす
るに、これはつくきれてつゞかさる故、かくいはるゝなるべし。よき歌は、二段にも、三
段にも、四段にも、五段にも、自在にきれて、いとよくとゝのふ物也。此歌は上句一段、四ノ句
一段、五ノ句一段、三段にきれて、めでたくとゝのひたり。就中四ノ句五ノ句は嘆辞にてくり言
などいふらんやうにて、いとおかし。一首の意は、柴の庵の花に心のとまるほどの言はどうで
もよいが、うき世の事に物をおもふさて/\にが/"\敷言ぞと也。うらめしは概ノ字の義
にあたる。
西行
世の中をおもへばなべて散る花の我身をさてもいづちかもせむ
三ノ句の下へごとく也といふことばをそへ、四ノ句はさてもわが身をと
折かへして心うべし。さてもは、さりとても也。詞たらずして
とゝのはぬ哥なり。三ノ句の下にそへてみる詞もあり。
されど、さやうの言、哥の常也。 いづちかもせん
とは、いづちへ行ていかにかもせんといふ意とは聞えたれど、
此意にはあらず。たゞいかにかもせんといふ意也。されどいかにかもせん
といふ言を、いづちかもせんとよまん事、いかにぞやおぼゆるなり。 これも詞た
らでとゝのはず。いかにといふべきを、いづちといへるのみにて、詞のたらぬ事は
なし。一首の意、世の中をおもひまはてみれば、なべてちる
花の如くはかなき物也。さればとて、我身を
いかにすべき物ぞ、たゞ死をまつのみ也となり。
題しらず 法印幸清
世をいとふ吉野のおくの呼子鳥ふるき心のほどやしるらん
ふるき心とは、世をいとふ心の深き
をいふ、上ノ句のおくとかけあひたり。
※心あらん人にみせばや
後拾遺集 春歌上
正月許に津の国に侍りける頃、人の
もとに言ひつかはしける
能因法師
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を