尾張廼家苞 五之上
述懐百首の中ニ五月雨 俊成卿
五月雨はまやの軒端の雨そそぎあまりなるまでぬるゝ袖哉
上句は序。あまそゝぎあまりとかゝる。ぬるゝ袖かな。雨に縁あれば、有心の序也。
本歌東屋のまやのあまりのめそゝぎわれ立ぬれぬ此戸ひらかせ。
題しらず 七條院大納言
おもひあれば露はたもとにまがふかと秋のはじめを誰にとはまし
まよふはまがふと同義か。しからば露のおびたゞしく置事也。初句は物思ひの
ある事なるべし。一首の意、物おもひがあれば、たもとに露がおびたゞしく置物
かと、秋の物の事を誰にとはんと也。
もし此哥戀のうたにはあらざるか。
八月十五夜和哥所にてをのこども哥つかふまつり侍り
しに 民部卿範光
和歌の浦に家の風こそなかれどもなみふく色は付きにみえけり
下句は、歌の道の家にあらざる我らまでをすて給はぬ君
のめぐみは、今宵この和歌所の集にめしくはへられたにてしられ
たりといふ意にや。此説、こゝろはさる事ながら、詞にえがたし。或人云。浪ふくに人
並の義をそへたり。人なみ/\なるわれらをもくはへられたる
にて、めぐみあまねき事はみえたりと也といへり。これもこそといふもじに相應せ
ず。又或人は、下句今宵の月に我才藝の顕れたるをいふといへり。こそにはよろしけれど、此心いかゞ。
和哥所歌合ニ湖上月明 冝秋門院丹後
夜もすがら浦こく舩は跡もなし月ぞ残れる志賀の辛崎
こぎ行舩は、古歌にもよめる如く、此一句
不用 跡もなくて、行衛もしら
ずなる意。
その舩の過し跡には、此句もなき
方よろし。夜もすがらたゞ月のみ殘
りて有と也。一首の意。浦ごく舟は、行衛もしらずきえつきて、志賀の辛
崎には、夜もすがら月のみ残りてありと也。やすらかにみる
べ
し。よもすがら浦こぎし舩は、跡なくて、夜のあくればたゞ月
の殘れりといふやうに聞ゆれども、此注は一二と
つゞく意。 其意にはあらず。
勿論。夜もすがらは、四ノ句までにかゝりて、夜のうちのけしき也。
夜もすがらは、直に四ノ句につゞく。ニノ句にはつゞかず。
此説も四ノ句までにかゝりてとあればたがへり。 此哥、三四ノ句、跡もなくて、
月ぞ殘れるといふべき詞のはこびなるに、跡もなしといひて、
ぞ殘れるといへるてにをはのかけ合わろき事。上なる有
家朝臣の山家残雪の歌と同じ。例の一段につゞけてみる一癖
也。二段にとゝのふるは豪壮な
る事。つき/"\
いへるが如し。又志賀辛崎はいづれにかへてもおなじことなれば、
上句に湖のあへしらひあらまほし。これは古人の頓着
せざるところ也。
※本歌東屋の~
催馬楽 東屋
東屋の、真屋のあまりの、その雨そそぎ、我立ち濡れぬ、殿戸開かせ。
※上なる有家朝臣の山家残雪の歌と同じ
新古今和歌集巻第十六 雜歌上
土御門内大臣家に山家殘雪といふ心をよみ侍りけるに
藤原有家朝臣
山かげやさらでは庭に跡もなし春ぞ來にける雪のむらぎえ
よみ:やまかげやさらではにわにあともなしはるぞきにけるゆきのむらぎえ 隠
意味:我が庵のある山陰よ。こんな山奥の庭に人の訪れる気配は無い。しかし春は来たらしい。雪が所々消えてきたから。
作者:ふじわらのありいえ1155~1216重家の子。本名は仲家。従三位大蔵卿。和歌所寄人で新古今和歌集の選者。
備考:正治三年正月十八日内大臣源通親家影供歌合。常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今注。