尾張廼家苞 五之上
百首歌奉し時 忠良卿
をりにあへばこれもさすがに哀なり小田のかはづの夕暮の声
二三ノ句は、たには哀なるくさはひには思はざりしに、小田のかはづの
春の夕ぐれの折にあひて、さすがにあはれをもよほすとなり。
千五百番歌合に 有家朝臣
春の雨のあまねき御代をたのむ哉霜にかれにし草葉もらすな
四ノ句にしをゆくとかける本もあり。印本行とあり。行といはん
よりも、にしとある勝れり。
これは我身をたとへたるにて、次第におとろへ行意なれば、
ゆくもさることなれども、上句とのかけあひを思ふに、にしとあら
ざればよろしからず。霜にかれ行といひては、九月十月の事にて
上ノ句の春の雨のあまねきニかけあはず。 三ノ句
かなといへる、近き世の歌ならば、必ずよといふべし。すへて近き世
には、たのむぞよいのるぞよ、思ふぞよ、なげくぞよなどよむ事
いと多し。これもといやしげなる詞なれば、此集のころの人は
をさ/\よまぬことにて、此歌もかなとはいへる也。以上めでたき
おしへ也。 然れ共
此哥は結句の終にとゝいふ詞をそへたれば、かけ合がたし。しから
ず。此哥
は上は上にてきれ、下は下にてきれて、二段にとゝのひたり。
此注は一段に引つゞけてみる。この先生の一癖なり。 されど此集の比には、終
に置べきてにをはをははぶき、或は一言二言をも添て心得る
やうによめる事常なり。さる事もあり。それは必しか
みゆるやうなるいきほひあり。
五十首歌奉し時 慈圓大僧正
おのが波に同じ末葉ぞしをれぬる藤さく田子のうらめしの身や
おのが波とは、藤は藤波といふ故に、藤のおのが波といふ事なれ共、
聞え難し。初句は藤原氏の事。藤
波といふ故おのが浪と有。同じ末葉とは、此僧正藤原氏
にとりても、法性寺殿の御子にて、摂政関白にもなる人と
同じ流なるを云。すゑ葉といへるは、末葉といふ義。一二ノ句の
つゞきは、われは藤原氏の末流なれ共と云事。 しをれ
ぬるとは、我身はむ無才無能にて、世に何の勤功もなき事を
歎きたるよしなるを、波の縁にしをるゝとはいへる也。此心にはあ
らず。三ノ句は
沈淪零落したる事。座主僧正などの先途をとげ給はぬ前、法印などにておは
しましゝ。此の歌なるべし。藤さく田子のは、必栄給ふべき御俗姓なる事なるべし。
一首の意は、藤原氏の末流も、我にいたりておとろへ尽たる事かな。
必栄ゆべきすぢにはあれど、沈淪せしわが身のうらめしき事と也。
いつきの昔を思出て 式子内親王
杜宇その神山のたび枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ
加茂の斎院におはしましゝ時の事を思し出る也。その神山は、加茂山也。斎院は紫野にて、程
ちかし。杜宇の神山を出て、斎院あたりまでなきわたりし事を、え忘れ給はずと也。
※四ノ句にしをゆくとかける本 穂久邇文庫本他