御所に朝夕候ひし比、常にも似ず珍しき御會ありき。
六首の哥に皆姿をよみかへて奉れ
とて
春、夏は太く大きに、秋、冬は細くからび、戀、旅は艷に優しくつかうまつれ。もし思ふやうによみ仰ずは、その由を有りのまゝに申し上げよ。歌のさま知れるほどを御覽づべき爲なり。
と仰せられしかば、いみじき大事にて、かたへは辭退す。心にくからぬ人をば又自元召されず。かゝれば正しく其座に連なれる人、殿下、大僧正御坊、定家、家隆、寂蓮、予と僅かに六人ぞ侍し。愚詠に、太く大きなる哥に、
雲さそふ天つ春風薫るなり高間の山の花盛りかも
打はぶき今も鳴かん時鳥卯の花月よさかり更け行く
細くからびたる哥、
宵の間の月の桂の薄紅葉照るともしもなき初秋の空
寂しさは猶殘りけり跡絶ゆる落葉が上に今朝は初雪
艷に優しき哥、
忍ばずよ絞りかねつと語れ人もの思ふ袖の朽ち果てぬ間に
旅衣立つ曉の別れよりしほれし果や宮城野の露
この中に、春の哥をあまたよみて寂蓮入道に見せ申しし時、此高間の哥をよしとて、點合はれたりしかば、書きて奉りき。既講ぜらるゝ時に至りて是を聞けば、彼の入道の哥に同じく違はず、高間の花をよみて出されたりけり。我哥に似たらば違へよなど思ふ心もなく、有りのまゝに理られける。いと有難き心也かし。さるは、眞の心ざまなどをば、いたく神妙なる人ともいはれざりしが、我得つる道になれば心ばへもよくなるなんめり。
そのかみ宣陽門院の供花の御會の御歌に、常夏契久と云ふ題に、動きなき世の山と撫子とよめりしをば、ある先達見て
わが歌に似たり。よみかへよ。
とあながちに申し侍しかば、力なくて當座によみかへてき。たとしへなき心也。
抑人のを讃めんとするほどに、我爲面目ありし度の事を長々と書き續けて侍るこそおかしく、されどこの文の分に、自讃少々まぜてもいかゝ侍らん。
○六首の哥
三体和歌。建仁二年(1202)三月二十日に後鳥羽院より給題され二十二日に和歌所で詠進。日付は、二十一日。題は六題で、春夏を「ふとくおほきに」、秋冬を「からびほそく」、恋旅を「ことに艶に」と上皇の歌の三体に合わせて7人が題に合わせて六首提出。
○殿下
藤原良経(1169~1206年)関白九条兼実の子。後京極殿と呼ばれた。新古今和歌集に関与。六百番歌合などを主催した。
○大僧正御坊
慈円(1155~1225年)藤原忠通の子兼実の弟。天台宗の大僧正で愚管抄を著す。
○定家
藤原定家(1162~1241年)ていかとも読む藤原俊成の子京極中納言とも呼ばれ新古今和歌集新勅撰和歌集の選者小倉百人一首の撰者古典の書写校訂にも力を注いだ。
○家隆
藤原家隆(1158~1237年)壬生二品とも呼ばれ、かりゅうとも読む。新古今和歌集の選者。
○寂蓮
(1139?~1202年)俗名藤原定長。醍醐寺阿闍利俊海の子叔父の俊成の養子となり、新古今和歌集の撰者となったが、途中没。
○高間の花をよみて
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲(春歌上 97 寂蓮法師)
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