新古今和歌集の部屋

鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉1 或は家を忘れて



或は家を忘れて山にすむ。様〃御祈

はじまり、なべてならぬ法共行るれ共

さらに其しるしなし京のならひ、なには

につけてもみなもとは田舎をこそたのめ

るに絶えてのぼるものなければ、さのみやは

みさほも作りあへん念じ侘つゝ寶物

かたはしより捨るごとくすれ共、さらに目

見たつる人なしたま/\かふるものは、金

を輕くし粟を重くす乞食道のべに

多く愁へ悲しぶ聲耳にみてり先の

年かくのごとくからくして暮ぬ明る年の

 
 
或は、家を忘れて山にすむ。様々御祈始まり、
なべてならぬ法共行るれ、更に其しる
しなし。京のならひ、何はにつけても源
は田舎をこそたのめるに、絶えてのぼる
ものなければ、さのみやはみさほも作り
あへん。念じ侘つゝ、宝物かたはしよ
捨るごとくすれ共、更に目見たつる
なし。たまたまかふる物は、を軽くし
粟を重くす。乞食道の多く、愁へ悲
しぶ声耳にみてり。先の年かくのごとく
からくして暮ぬ。明る年の
 

(参考)
或は家を分かれて山に住む。樣々の御祈り始まりて、
なべて成らず法ども行はるれども、更に其の験
無し。京の慣らひ、何業に付けても皆元
は、田舎をこそ頼めるに、絶えて上る
物も無ければ、然のみやは操も作り
あへん。念じわびつゝ、樣々の、片端よ
り捨つるが如くすれども、更に目見立つる人も
無し。偶々換ふる物は、黄金を軽くし
粟を重くす。乞食、路のに多く、憂へ悲
しむ声耳に満てり。前の年、斯くの如し
からくして暮れぬ。明くる年は
 

(参考)大福光寺本
或ハ家ヲワスレテ山ニスムサマサマノ御祈ハシマリテ
ナヘテナラヌ法トモヲコナハルレ更ニ其ノシルシ
ナシ京ノナラヒナニワサニツケテモミナモト
ハヰナカヲコソタノメルニタヘテノホル
モノナケレハサノミヤハミサヲモツクリ
アヘン。ネムシワヒツゝサマサマノ財物カタハシヨ
スツルカ事クスレトモ更ニメミタツル人
ナシタマタマカフル物ハヲカロクシ
粟ヲゝモクス乞食路ノホトリニヲホクウレヘカナ
シムコヱ耳ニミテリマヘノトシカクノ如ク
カラウシテクレヌアクルトシハ



 より高麗を責めし時高
 麗百済の軍を我国に
 求しかば、天皇筑紫へ
 給はんとて伊予国に御幸
 して熟田の宮の石湯の
 行宮に留り給へり。其
 時、天智天皇は未太子
 にての御奉し奉り、其
 年朝倉の橘の廣庭
 にうつり給ひて、朝倉の
 森の木をきり拂て、此
 宮を作り給ひしかば、朝
 倉の神怒をなせりと、
 なん斉明天皇は、終に
 朝倉にて崩し給へり。
 朝倉の社は延◯神
 
 
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