心あらばとはまし
もの
を梅がゝにたが
さと にほひ
より きつ
か らむ
春歌上
源俊頼朝臣
心あらばとはましものを梅が香にたが里よりか匂ひきつらむ
勝法橋右大臣實治公
三条実治?
三条 実治(慶安三年(1651年)‐享保九年(1724年))は、江戸時代前期から中期の公卿。 おもに霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代にわたり仕え、従一位左大臣まで昇る。初名は季房・実通といった。実治は元禄二年(1689年)から薨去までの名前。号は暁心院観照。父は右大臣三条公富。母は不詳。
明暦元年(1655年)に叙爵。元禄六年(1693年)に内大臣に就任したが、同年のうちに右近衛大将と内大臣を辞職。さらに宝永元年(1704年)には右大臣となったが、やはりすぐに辞職している。宝永二年(1705年)に従一位を授与された。正徳5年(1715年)に左大臣となったが、やはりすぐに辞職。
平成29年9月27日 壱/4枚
もの
を梅がゝにたが
さと にほひ
より きつ
か らむ
春歌上
源俊頼朝臣
心あらばとはましものを梅が香にたが里よりか匂ひきつらむ
勝法橋右大臣實治公
三条実治?
三条 実治(慶安三年(1651年)‐享保九年(1724年))は、江戸時代前期から中期の公卿。 おもに霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代にわたり仕え、従一位左大臣まで昇る。初名は季房・実通といった。実治は元禄二年(1689年)から薨去までの名前。号は暁心院観照。父は右大臣三条公富。母は不詳。
明暦元年(1655年)に叙爵。元禄六年(1693年)に内大臣に就任したが、同年のうちに右近衛大将と内大臣を辞職。さらに宝永元年(1704年)には右大臣となったが、やはりすぐに辞職している。宝永二年(1705年)に従一位を授与された。正徳5年(1715年)に左大臣となったが、やはりすぐに辞職。
平成29年9月27日 壱/4枚