桜
第一 春歌上
56 祐子内親王藤壺に住みはべりけるに女房うへ人などさるべきかぎり物語して春秋のあはれいづれにか心ひくなど争ひ侍りけるに人々多く秋に心を寄せ侍りければ菅原孝標女
淺みどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月
62 百首歌奉りし時 攝政太政大臣
歸る雁いまはのこころありあけに月と花との名こそ惜しけれ
79 題しらず 西行法師
よし野山さくらが枝に雪散りて花おそげなる年にもあるかな
80 白河院鳥羽におはしましける時人々山家待花といふこころをよみ侍りけるに 藤原隆時朝臣
さくら花咲かばまづ見むと思ふまに日かず經にけり春の山里
83 百首歌奉りしに 式子内親王
いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな
85 題しらず 中納言家持
行かむ人來む人しのべ春かすみ立田の山のはつざくら花
86 花歌とてよみ侍りける 西行法師
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ
87 和歌所にて歌つかうまつりしに春歌とてよめる 寂蓮法師
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲
88 題しらず よみ人知らず
いそのかみ古き都を來て見れば昔かざしし花咲きにけり
89 題しらず 源公忠朝臣
春にのみ年はあらなむ荒小田をかへすがへすも花を見るべく
90八重桜を折りて人の遣はして侍りければ 道命法師
白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折らまし
91 百首奉りし時 藤原定家朝臣
白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし
92 題しらず 藤原家衡朝臣
吉野山はなやさかりに匂ふらむふるさとさらぬ嶺のしらくも
93 和歌所歌合に羇旅花といふこころを 藤原雅經
岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲
94 五十首歌奉りし時 藤原雅經
尋ね來て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月
95 故郷花といへるこころを 前大僧正慈圓
散り散らず人もたづねぬふるさとの露けき花に春かぜぞ吹く
96 千五百番歌合に 右衞門督通具
いそのかみふる野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ
97 千五百番歌合に 正三位季能
花ぞ見る道のしばくさふみわけて吉野の宮の春のあけぼの
98 千五百番歌合に 藤原有家朝臣
朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る
第二 春歌下
99 釋阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり屏風に山に櫻かきたるところを 太上天皇
さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
100 千五百番歌合に春の歌 皇太后宮大夫俊成
いくとせの春に心をつくし來ぬあはれと思へみよし野の花
101 百首歌に 式子内親王
はかなくて過ぎにしかたを數ふれば花に物思ふ春ぞ經にける
102 内大臣に侍りける時望山花といへるこころをよみ侍りける 京極前關白太政大臣
白雲のたなびく山のやまざくらいづれを花と行きて折らまし
103 祐子内親王家にて人々花の歌よみ侍り侍りけるに 權大納言長家
花の色にあまぎるかすみたちまよひ空さへ匂ふ山ざくらかな
104 題しらず 山部赤人
ももしきの大宮人はいとまあれ櫻かざして今日もくらしつ
105 題しらず 在原業平朝臣
花にあかぬ歎はいつもせしかども今日の今宵に似る時は無し
106 題しらず 凡河内躬恆
いもやすくねられざりけり春の夜は花の散るのみ夢にみつつ
107 題しらず 伊勢
山ざくら散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春にとはなむ
108 題しらず 紀貫之
わが宿の物なりながら櫻花散るをばえこそとどめざりけれ
109 寛平御時きさいの宮の歌合に よみ人知らず
霞たつ春の山邊にさくら花あかず散るとやうぐひすの鳴く
110 題しらず 山部赤人
春雨はいたくな降りそさくら花まだ見ぬ人に散らまくも惜し
110b 題しらず 中納言家持
ふるさとに花はちりつつみよしののやまのさくらはまださかずけり
111 題しらず 紀貫之
花の香にころもはふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに
113 守覺法親王五十首歌よませ侍りける時 藤原家隆朝臣
この程は知るも知らぬも玉鉾の行きかふ袖は花の香ぞする
114 攝政太政大臣家に五十首歌よみ侍りけるに 皇太后宮大夫俊成
またや見む交野のみ野のさくらがり花の雪散る春のあけぼの
115 花歌よみ侍りけるに 祝部成仲
散り散らずおぼつかなきは春霞たつたの山のさくらなりけり
116 山里にまかりてよみ侍りける 能因法師
山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける
117 題知らず 惠慶法師
櫻散る春の山べは憂かりけり世をのがれにと來しかひもなく
118 花見侍りける人に誘はれてよみはべりける 康資王母
山ざくら花のした風吹きにけり木のもとごとの雪のむらぎえ
119 題しらず 源重之
はるさめのそぼふる空のをやみぜず落つる涙に花ぞ散りける
120 題しらず 源重之
雁がねのかへる羽風やさそふらむ過ぎ行くみねの花も殘らぬ
121 百首歌めしし時春の歌 源具親
時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里
122 見山花といへるこころを 大納言經信
山ふかみ杉のむらだち見えぬまでをのへの風に花の散るかな
123 堀河院御時百首歌奉りけるに花の歌 大納言師頼
木のもとの苔の緑も見えぬまで八重散りしけるやまざくらかな
124 花の十首歌よみ侍りけるに 左京大夫顯輔
ふもとまで尾上の櫻ちり來ずはたなびく雲と見てや過ぎまし
125 花落客稀といふことを 刑部卿範兼
花散ればとふ人まれになりはてていとひし風の音のみぞする
126 題しらず 西行法師
ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
127 題しらず 越前
山里の庭よりほかの道もがな花ちりぬやと人もこそ訪へ
128 五十首歌奉りし中に湖上花を 宮内卿
花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
129 五十首歌奉りし中に關路花を 宮内卿
あふさかやこずゑの花をふくからに嵐ぞかすむ關の杉むら
130 百首歌奉りしに春の歌 二條院讃岐
山たかみ峯の嵐に散る花の月にあまぎるあけがたのそら
131 百首歌召しける時春の歌 崇徳院御歌
山たかみ岩根の櫻散る時はあまの羽ごろも撫づるとぞ見る
132 春日社歌合とて人々歌よみ侍りけるに 刑部卿頼輔
散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲
133 最勝四天王院の障子に吉野山かきたる所 太上天皇
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの
134 千五百番歌合に 藤原定家朝臣
櫻色の庭のはるかぜあともなし訪はばぞ人の雪とだにみむ
135 ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍りしに庭に散りて侍りし花を硯の蓋に入れて攝政のもとにつかわし侍りし 太上天皇
今日だにも庭を盛とうつる花消えずはありとも雪かとも見よ
136 返し 攝政太政大臣
さそはれぬ人のためとやのこりけむ明日よりさきの花の白雪
137 家の八重櫻を折らせて惟明親王のもとへつかはしける 式子内親王
八重にほふ軒端の櫻うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな
138 返し 惟明親王
つらきかなうつろふまでに八重櫻とへともいはで過ぐるこころは
139 五十首歌奉りし時 藤原家隆朝臣
さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ
140 題しらず 皇太后宮大夫俊成女
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば
141 題しらず 後徳大寺左大臣
はかなさをほかにもいはじ櫻花咲きては散りぬあはれ世の中
142 入道前關白太政大臣家に百首歌よませ侍りける時 俊惠法師
ながむべき殘の春をかぞふれば花とともにも散るなみだかな
143 花の歌とてよめる 殷富門院大輔
花もまたわかれむ春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを
144 千五百番歌合に 左近中將良平
散るはなのわすれがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ
145 落花といふことを 藤原雅經
花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風
146 題しらず 後白河院御歌
惜しめども散りはてぬれば櫻花いまはこずゑを眺むばかりぞ
147 殘春のこころを 攝政太政大臣
吉野山花のふるさとあと絶えてむなしき枝にはるかぜぞ吹く
148 題しらず 大納言經信
ふるさとの花の盛は過ぎぬれどおもかげさらぬ春の空かな
149 百首歌の中に 式子内親王
花は散りその色となくながむればむなしき空にはるさめぞ降る
150 小野宮のおほきおほいまうちぎみ月輪寺に花見侍りける日よめる 清原元輔
誰がためか明日は殘さむ山ざくらこぼれて匂へ今日の形見に
152 紀貫之曲水宴し侍りける時月入花瀬暗といふことをよみ侍りける 坂上是則
花流す瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山のをちかた
153 雲林院の櫻散りはててわづかに片枝に殘りて侍りければ 良暹法師
尋ねつる花もわが身もおとろへて後の春ともえこそ契らね
154 千五百番歌合に 寂蓮法師
思ひ立つ鳥はふる巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮
155 千五百番歌合に 寂蓮法師
散りにけりあはれうらみの誰なれば花のあととふ春の山風
156 千五百番歌合に 權中納言公經
春ふかくたづねいるさの山の端にほの見し雲の色ぞのこれる
157 百首歌奉りし時 攝政太政大臣
初瀬山うつろう花に春暮れてまがひし雲ぞ峯にのこれる
158 百首歌奉りし時 藤原家隆朝臣
吉野川岸のやまぶき咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ
167 春の暮つ方実方朝臣のもとに遣はしける 藤原道信朝臣
散り殘る花もやあるとうちむれてみ山がくれを尋ねてしがな
第四 秋歌上
363 西行法師すすめて百首よませ侍りけるに 藤原定家朝臣
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
第五 秋歌下
523 櫻のもみぢしはじめてるを見て 中務卿具平親王
いつの間に紅葉しぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし
第七 賀歌
713 祐子親王家にて櫻を 土御門右大臣
君が世に逢ふべき春の多ければ散るとも櫻あくまでぞ見む
732 二條院御時花有喜色というこころを人々仕うまつりけるに 刑部卿範兼
君が世に逢へるは誰も嬉しきを花は色にも出でにけるかな
733 同御時南殿の花盛に歌よめと仰せられければ 參河内侍
身にかへて花も惜しまじ君が代に見るべき春の限りなければ
第八 哀傷歌
759 醍醐のみかどかくれ給ひて後彌生のつもごりに三條右大臣に遣はしける 中納言兼輔
櫻散る春の末にはなりにけりあままも知らぬながめせしまに
760 正暦二年諒闇の春櫻の枝につけて道信朝臣に遣はしける 藤原實方朝臣
墨染のころもうき世の花盛をり忘れても折りてけるかな
761 返し 藤原道信朝臣
あかざりし花をや春も戀つらむありし昔をおもひ出でつつ
762 彌生の頃人におくれて歎きける人のもとへ遣はしける 成尋法師
花ざくらまだ盛にて散りにけむなげきのもとを思ひこそやれ
763 人の櫻を植ゑ置きてその年の四月になくなりける又の年初めて花の咲きけるを見て 大江嘉言
花見むと植ゑけむ人もなき宿のさくらは去年の春ぞ咲かまし
765 公守朝臣母身まかりて後の春法金剛院の花を見て 後徳大寺左大臣
花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ
774 返し 藤原爲頼朝臣
一人にもあらぬおもひはなき人も旅の空にや悲しかるらぬ
第十一 戀歌一
1016 女を物ごしにほのかに見て遣はしける 清原元輔
匂ふらむ霞のうちのさくら花おもひやりても惜しき春かな
1017 年を經ていひわたり侍りける女のさすがにけぢかくはあらざりけるに春の末つ方いひ遣はしける 大中臣能宣朝臣
幾かへり咲き散る花を眺めつつもの思ひ暮らす春に逢ふらむ
第十六 雜歌上
1450 堀河院におはしましける頃閑院の左大將の家の櫻を折らせに遣はすとて 圓融院御歌
垣越しに見るあだびとの家櫻はな散るばかり行きて折らばや
1451 御返事 左大將朝光
をりにことおもひやすらむ花櫻ありし行幸の春を戀ひつつ
1452 高陽院にて花の散るを見てよみ侍りける 肥後
萬世をふるにかひある宿なれやみゆきと見えて花ぞ散りける
1453 返事 二條關白内大臣
枝ごとの末まで匂ふ花なれば散るもみゆきと見ゆるなるらむ
1454 近衛司にて年久しくなりて後うへのをのこども大内の花見に罷れりけるによめる 藤原定家朝臣
春を經てみゆきに馴るる花の蔭ふりゆく身をもあはれとや思ふ
1455 最勝寺の櫻は鞠のかかりにて久しくなりにしをその木年經て風に倒れたるよし聞き侍りしかばをのこどもに仰せて異木をその跡に移し植ゑさせし時まづ罷りて見侍りければ數多の年々暮れにし春まで立ち馴れにけることなど思ひ出でてよみ侍りける 藤原雅經
馴れ馴れて見しはなごりの春ぞともなどしらかはの花の下蔭
1456 建久六年東大寺供養に行幸の時興福寺の八重桜盛んなりけるを見て枝に結びつける よみ人知らず
故郷とおもひな果てそ花櫻かかるみゆきに逢ふ世ありけり
1457 罷り居て侍りける頃後德大寺左大臣白河の花見に誘ひ侍りければ罷りてよみ侍りける 源師光
いさやまた月日の行くも知らぬ身は花の春とも今日こそはみれ
1458 敦道のみこのともに前大納言公任の白河の家に罷りて又の日みこの遣はしける使につけて申し侍りける 和泉式部
をる人のそれなるからにあぢきなく見しわが宿の花の香ぞする
1459 題しらず 藤原高光
見ても又またも見まくのほしかりし花の盛は過ぎやしぬらむ
1460 京極前太政大臣家に白河院御幸し給ひて又の日花の歌奉られけるによみ侍りける 堀河左大臣
老いにける白髪も花も諸共に今日のみゆきに雪と見えけり
1461 後冷泉院御時御前にて翫新成櫻花といへるこころををのこどもつかうまつりけるに 大納言忠家
櫻花折りて見しにも變らぬに散らぬばかりぞしるしなりける
1462 後冷泉院御時御前にて翫新成櫻花といへるこころををのこどもつかうまつりけるに 大納言經信
さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事知らぬ花し匂はば
1463 無風散花といふ事をよめる 大納言忠清
櫻ばな過ぎゆく春の友とてや風のおとせぬよにも散るらむ
1464 鳥羽殿にて花の散りがたなるを御覽じて後三条の内大臣にたまはせける 鳥羽院御歌
惜しめども常ならぬ世の花なれば今はこのみを西に求めむ
1465 世を遁れて後百首歌よみ侍りけるに花歌とて 皇太后宮大夫俊成
今はわれ吉野の山の花をこそ宿のものとも見るべかりけれ
1466 入道前關白太政大臣家歌合に 皇太后宮大夫俊成
春來れば猶この世こそ忍ばるれいつかはかかる花を見るべき
1467 同家百首歌に 皇太后宮大夫俊成
照る月も雲のよそにぞ行きめぐる花ぞこの世の光なりける
1468 春頃大乗院より人に遣はしける 前大僧正慈圓
見せばやな志賀の唐崎ふもとなるながらの山の春のけしきを
1469 題しらず 前大僧正慈圓
柴の戸に匂はむ花はさもあらばあれ詠めてけりな恨めしの身や
1470 題しらず 西行法師
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
1471 東山に花見に罷り侍るとてこれかれ誘ひけるをさしあふ事ありて留りて申し遣はしける 安法法師
身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ
1483 四月の祭の日まで花散り殘りて侍りける年その花を使の少將の挿頭に賜ふ葉に書きつけ侍りける 紫式部
神代にはありもやしけむ櫻花今日のかざしに折れるためしは
第十七 雜歌中
1616 五十首歌奉りし時 前大僧正慈圓
花ならでただ柴の戸をさして思ふ心のおくもみ吉野の山
1617 題しらず 西行法師
吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ
1665 百首歌奉りしに山家のこころを 攝政太政大臣
忘れじの人だに訪はぬ山路かな櫻は雪に降りかはれども
第十八 雜歌下
1845b 題しらず 西行法師
ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ
第十九 神祇歌
1906 熊野へ詣で給ひける時花の盛なりけるを御覽じて 白河院御歌
咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らるる