のも ちかくよりつねの事まるつかにや侍らん
西行○て○してし
圓位上人勧進百首 定家朝臣
はれくもるおなじながめのたのみだに
しぐれにたゆる遠のさと人
右大臣家哥合 深夜待月 定家
夜□□さねたゆまずひさにながめする
山のはをそき月をこひつゝ
六百番 寄遊女恋 左勝 定家
心かよふゆきゝのふねのながめにも
さしてかばかり物はおもはじ
拾遺愚草 155
円位上人勧進百首
晴曇る同じながめの頼みだに時雨にたゆる遠の里人
拾遺愚草 2401
右大臣家哥合 夜深待月
夜をかさねたゆまずひさにながめする山の端遅き月を恋ひつつ
※右大臣
九条道家 右大臣 建保三年~六年
※右大臣家歌合 建保五年九月
※国歌大観によれば、深夜は夜深となっている。
拾遺愚草 896
六百番歌合に 寄遊女恋
心かよふ行ききの舟のながめにもさしてかばかり物は思はじ
鎌倉時代後期より
室町上期までのもの
持明院基信か
西行歌集切
※歌は全て藤原定家の拾遺愚草より。この断簡には西行歌は含まれていない。
応永十九年(1412年)ー文明二年(1470年)
室町時代の公卿。持明院基繁の子。仕えて従三位に至る。58才。
令和2年7月14日 壱