新古今和歌集の部屋

百人一首 高師浜 紀伊



おとにきく   祐子内親王家紀伊

  高石濱のあだなみは

   かけじや袖のぬれも

         こそすれ


大阪府高石市 高石神社

祐子内親王

  家紀伊  かけじ

音に聞く   やそでの

高師の浜の   濡れ

あだ波は   もこそ

         すれ


京都市 嵐山東公園



金葉集
  堀河院御時のけさうぶみあはせによめる
       中納言俊忠
人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ
  返し
       祐子内親王紀伊
音に聞く高師の浦のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ



艶書合は康和四年(1102年)閏五月堀河天皇が清涼殿で披講した歌合。
藤原俊忠の父は大納言忠家、母は権大納言藤原経輔女。俊成の父。定家の祖父。


金葉集では「浦」、百人一首では「浜」。

コメント一覧

jikan314
Re:本日はありがとうございました
のしてんてん 様
コーヒーご馳走様でした。
多くの球体を見ていると、曼荼羅にも見え、近付いて見ると、原子内の各々の素粒子が様々な波動を現し、遠くから見ると宇宙の始まりで星々が生まれて行く様にも見えて、これがのしてんてん様の心の方程式かと生意気にも思った次第です。
組合せとは言え、60代の紀伊と20代の若き貴公子の俊忠。プライドに掛けて有磯の海としたら相手は数段上の高師浜となったと父俊成から定家は聞いたのかも知れません。
鳳周辺を検索したら高師浜が有ったので歌碑は次いでです。
付句
柳の下も
夏や立ちけむ
(恋も二度目なら♪と二匹目の鯲を鯉に変えて、今日は立夏なので。)
のしてんてん
本日はありがとうございました
http://blog.goo.ne.jp/nositen10/
会場では、気付きませんでしたが、あれから高師浜まで行かれたのですね。

歌碑、身近にもあるものだと、あらためて思いました。

ただ、普段見ていても、読めなくて見過ごしてしまうのかも知れません。

おとにきく

 高石濱のあだなみは

   かけじや袖のぬれも

         こそすれ

百人一首にも載っている恋の歌だそうですね。
求愛者を袖にする、一句だそうですが、優雅だったのですね。

万葉の

刻まれし鯉

空に舞う


(何のこっちゃ)


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