戀歌三
百首哥に 式子内親王
あふ事をけふまつがえの手向草いくよしをるゝ袖とかはしる
本歌万葉一に、√白波のはまゝつがえのたむけぐさいくよま
でにか年の經ぬらむ。 初二句、からうじてはじめて今
夜と契りて、逢事をまつなり。 しをるゝは、草に縁あり。
下句、はいめて逢たる時にいふべきさまにて、こよひと
まつ時のさまにはうとし。 或抄に、逢戀の哥也といへる
は、二の句まつといへる詞にかなはず。しをるゝといふも、まだ
袖のかわかぬほどの詞なり。もし逢ていふならば、しを
れしとこそいふべけれ。
題しらず 西行
あふまでの命もがなとおもひしは悔しかりける我こゝろかな
逢見て後、いよ/\思ひのいやまされるにつきておもへば、
いまだ逢ざりしほどに死たらむには、かゝる思ひはあるま
じき物を、あふまであらむ命を願ひしは、今おもへば
悔しとなり。 古き抄に、あひぬれば、又いつまでもと命
の惜くなりぬれば、あふまでの命と願ひしは、悔しといへる
なりといへるは、初二句の詞のさまにすこしかなはず。てに
をはのはこびを、こまかに味ふべし。歌ぬしの心、もし其意
ならば、√あふまでとをしき命を思ひしは、といひてよろしき
也。と°もじとを°もじとを思ふべし。をしきといふ詞も、今
は惜きにて、悔しといふにかけ合べし。然るをあふまでの
命もがなといひては、たゞいかにもして、あふまではながらへ
むと歌ふ意なるをや。
※本歌万葉一に、√白波のはまゝつがえのたむけぐさ~
新古今和歌集 第十七 雜歌中
朱鳥五年九月紀伊國に行幸の時
河嶋皇子
白波の濱松が枝のたむけぐさ幾世までにか年の經ぬらむ
よみ:しらなみのはままつがえのたむけぐさいくよまでにかとしのへぬらむ 定隆雅 隠
意味:白浪が立つ浜の松の枝を、旅の無事を願って神に捧げてから幾世代の年がたったのだろうか。
作者 川島皇子かわしまのみこ657~691天智天皇の皇子。帝紀及び上古諸事を編纂。
備考:山上憶良の代作とも伝えられ、有馬皇子の挽歌も作ったので「磐代の浜松が枝を」を踏まえるといわれる。万葉集、古今和歌六帖。八代抄、新古今注、詞字注、 新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)。
万葉集 第一巻 34
幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 或云山上臣憶良作
白浪乃濱松之枝乃手向草幾代左右二賀年乃經去良武 一云年者經尓計武
白波の浜松が枝の手向けぐさ幾代までにか年の経ぬらむ 一云年は経にけむ
※或抄に 不明。