和哥所歌合に海邊月 家隆朝臣
秋のよの月やをじまのあまのはら明方ちかき沖のつり舟
明方ちかき程に、沖につり舟の見ゆるは、をじまのあまの、
月ををしむとて、こぎ出たるにやと也。 二三の句、いひかけ
の重なりたるは、少しうるさし。
だいしらず 通光卿
立田山よはにあらしのまづふけば雲にはうときみねの月影
めでたし。 三の句、まづは先也。松とかける本はひが
ごとぞ。 此哥、立田山似つかはしからざるやうなれども、
然らず。此峯の月は、入かたの月なるを、立田山は、西の方な
れば、よせあり。そのうへ万葉九長哥に、√白雲のたつたの山の
瀧のうへのをぐらの峯に云々。とあるによりて、白雲の立
田山とあるども、雲にはうときといへるなり。 一首の意は、
秋の月を見るに、暁の雲にあへるが如しと、古今ノ序にも
いへるごとく、いり方の月には、よく雲のかゝるものなれども、
いまだかたぶかざるさきに、夜はに先ツあらしの吹はら
へる故に、雲にはうとしとしと也。
式子内親王
宵の間にさてもねぬべき月ならば山のはちかき物はおもはじ
めでたし。 二三の句は、其むきにして、見すてゝねらる
るほどの月ならば、といふ意なり。 下句は、山端近くかた
ぶきて、惜き物思ひはせじと也。さるはあまりさやかなる月
にて、宵の間に、え見すてゝはねざりし故に、今かく山端ち
かくなりて、惜き物思ひをばすることよと、ふくめたり。
ふくるまでながむればこそかなしけれ思ひもいれじ秋のよの月
思ひ入といふことを、はじめ○もひゞかせて心得べし。思ひいれ
て、ふくるまでながむればこそかなしけれといふ意也。
五十首哥奉りし時 摂政
雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月を見る哉
三四の句めでたし。 さはるべき雲をばのこさずして、さや
けさをそふる風を、のこしおきて見る也。
家の月五十首に
月だにもなぐさめがたき秋の夜の心もしらぬ松のかぜかな
月だにもなぐさめがたきとは、秋の夜は、月を見るによりて、かな
しさをもよほして、なぐさめがたき。それだにあるうへに、
猶又の意なり。月見てもなぐさめがたしといふにはあらず。