良暹法師が我宿
のみぞ、烟たえぬる、
とよみておくり
しは、栄辱
をはなれたる、
大原や、朧の
清水のほとり
に、風月をもて
あそび、清貧
を楽しみて、
栖はれし
折からなり。
其幽棲
おもひ
やるべ
し
既不貧栄
安有辱、縦
饒無楽亦
何然、一絲
風月厳陵
釣、千里開
山季子九裘
宋真山民が作り
けんもこれらをや
いふべき
※
大原やまだ炭竃もならはねば我が宿のみぞ烟たえたる
大堰川遊覧。い
にしへよりかはらず。
其風流賞すべ
き多かれど、貫
之が一章の序、
公任が三舩の才、
世をもってしる
處なり。経信又
遅参す。いさゝか
才にほこるに似
たれど。時に取て
名誉と
いはんか
玄象、又玄上と書り。此
琵琶の事諸書に
のせ、或は紛失し、又は
出現の事等あり。古
事談に、玄上の事、
江中納言に、人の
とひければ、たしか
成説をしらず。
延喜の頃、玄上
宰相といひける、
琵琶ひきの、
琵琶ならん
とぞ答られ
けるとあり。
禁秘抄の
説、これに
おなじ。玄上
撥面の繪
の事、師時卿
の記にいふ、打
毬の唐人二
騎歟、是左府
の仰なり。これも
古事談に
見えたり
懸想文賣の事は古き誹諧の
季寄などに出て其ことの始末
たしかならず正月元旦より
屡町〃を賣歩行けり其
○扮赤き布衣にはかまの
そば高くとり覆面して
懸想の文を笹に書つけ
たるをも賣れり処女など
これをもとめて
其良縁を
うらなふ
寛文のころ
までは
有しが
そのごは
たえしとぞ
艶書はうすやう
にてつゝむつゝ
まざるは
はだか文とて
嫌ふなりと
西行法師は
いへり
※○扮:いでたち
懸想文売
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jikan314
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