九條殿未だ右大臣と申しし時、人/\に百首の哥よませさせ給ふ事侍き。
其度いみじき人々僻事よみて、果には異名さへ付き給ひにき。近くの德大寺左大臣は、無明の酒を名もなき酒とよみ給へりしかば、名なしの大將といはれ、五條三位入道は此道の長者にいますかれど、富士の鳴澤を富士のなるさとよみて、なるさの入道、名なしの大將と番ひて人に笑はれ給ひしかば、いみじき此道の遺恨にてなん侍りし。
各これほどの事、知り給はぬにはあらじ。思ひ誤り侍るにこそ。
○九條殿
藤原兼実(1149~1207年)
○百首の哥
治承二年右大臣家百首。治承二年(1178年)5月に題を提示し、7月に詠進と俊成歌集の長秋詠藻にある。題は立春、初恋、鶯、忍恋、花、初逢恋、郭公、後朝恋、五月雨、遇不逢恋、月、祝、草花、旅、紅葉、述懐、雪、神祇、歳暮、釈教など。俊成、俊恵、資隆、経家、頼政、頼輔、寂蓮、隆信、成方、実定、摂政家丹後らが参加。散逸したので、詳細は不明。
○德大寺左大臣
藤原実定(1139~1191年)
○五條三位入道
藤原俊成(1114~1204年)