儀同三司母 前掌侍貴子 作者部類 高内侍 後拾遺
御抄云高階業(成イ)忠後号高二位女也。中関白道隆公室。儀同
三司伊周公、中宮定子等之母也云云。大鏡云、高内侍事
それはよくとしき文者にて御前の作文には文た
てまつられしはとよ。少〃のおのこにはまさりてこそ
きこえ侍しか云云。儀同三司伊周、御抄云、長徳二年
四月廿四日有㕝左迁太宰府見栄花物語浦々別巻同三年
四月五日帰京。号帥内大臣儀同三司云云。
愚案、織原抄云、帥内大臣伊周帰京之後寛弘二年列朝参
大臣下大納言上五年准大臣賜封戸一千戸自称儀同三司云云。
儀同三司とは三公と儀同じと云心也。伊周云よりはじまりて
このかた近代も此号侍るなり。御抄云、從一位の唐名儀同
三司と云は、各別の事也。
わすれじのゆくすゑまではかたければけふをかぎりの命とも哉
新古今恋三、中関白道隆かよひそめ侍りける比云云。哥心
は師説、初めてあふてたがひに行すゑかはらじと
ちぎりても、其ちぎりすゑとぐる事は、大かたかたき
ものなれば、かくあふ事をおもひ出にて、けふを命の
かぎりともなれよかしといへる心、尤哀なるうたと也。
御抄云、よく/\こと葉つかひを見侍るべしく。れ/"\や
さしき哥の風体也。