源氏物語 須磨
前栽の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮に、海見やらるゝ廊に出で給ひて、たゝずみ給ふ御さまの、ゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。白き綾のなよゝかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、「釈哥牟尼仏弟子。」と名のりて、ゆるゝかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。
沖より舟どもの歌ひのゝしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるゝも、心細げなるに、雁のつらねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙のこぼるゝをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠に映え給へるは、ふるさとの女恋しき人々の心、みな慰みにけり。
初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
とのたまへば、良清、
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども
民部大輔、
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
前右近将監、
常世出でて旅の空なるかりがねもつらにおくれぬほどぞ慰む
友惑はしては、いかに侍らまし。と言ふ。
親の常陸になりて下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、誇りかにもてなして、つれなきさまにしありく。
源氏
初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
よみ:はつかりはこひしきひとのつらなれやたひのそらとふこゑのかなしき
意味:初雁は、故郷を恋しく思う人の仲間なのだろう。異郷を旅する空を飛ぶ声が悲しく聞こえる
源良清
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども
よみ:かきつらねむかしのことそおもほゆるかりはそのよのともならねとも
意味:雁の列の樣に、次から次と昔の事が思い出される。雁は昔の友ではないのだが。
民部大輔(藤原惟光)
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
よみ:こころからとこよをすててなくかりをくものよそにもおもひけるかな
意味:自ら常世の樣な故郷を捨てて鳴いている雁を、自分とは関係のないものだと思っていたよ。
前右近将監
常世出でて旅の空なるかりがねもつらにおくれぬほどぞ慰む
よみ:とこよいててたひのそらなるかりかねもつらにおくれぬほとそなくさむ
意味:常世の樣な故郷を出て旅の空にいる雁がねも、仲間の列に遅れないで一緒にいる間は寂しくは無い。
源氏
藤原惟光
漁舟
源良清
前栽
(正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年))
江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。
土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。
画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。
令和5年10月29日 七點七伍/肆