田一枚
植て立去
柳かな
奥の細道 那須
又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
田一枚植て立ち去る柳かな
新古今和歌集巻第三 夏哥
題知らず 西行法師
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
よみ:みちのべにしみずながるるやなぎかげしばしとてこそたちどまりつれ 定隆雅 隠
意味:道の側らに清水が流れる柳の陰で少しの間暑さをしのいでいようと思ったら、気持ち良さについ長居をしてしまった。
備考:遊行柳 芭蕉奥の細道。異本山家集。
世の人の
見付ぬ花や
軒の栗
奥の細道 須賀川
この宿のかたわらに、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧あり。橡ひろふ太山もかくやとしづかに覚えられてものに書き付はべる。
其詞、栗といふ文字は西の木と書きて、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生、杖にも柱にもこの木を用いたまふとかや。
世の人の見付けぬ花や軒の栗
笠嶋は
いづこさ月の
ぬかり道
奥の細道 笠島
鐙摺白石の城を過、笠嶋の郡に入れば、藤中將実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、これより遥右に見ゆる山際の里をみのわ笠嶋といい、道祖神の社、かたみの薄今にありと教ゆ。
このごろの五月雨に道いとあしく、身つかれはべれば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪笠嶋も五月雨の折にふれたりと、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道
新古今和歌集巻第八 哀傷歌
陸奧へまかりけるに野中に目にたつ樣なる塚の侍りけ
るを問はせ侍りければこれ中將のつかと申すと答へ
ければ中將とはいづれの人ぞと問ひ侍りければ實方
朝臣のこととなむ申しけるに冬の事にて霜枯の薄ほの
ぼの見えわたりて折りふし物悲しう覺え侍れば
朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る
よみ:くちもせぬそのなばかりをとどめおきてかれののすすきかたみにぞみる 有 隠
意味:歌人として不朽の名声を残した実方中将もこの辺ぴな東北の墓の下で眠っていて、枯野の薄を今は中将の形見として見るしかない。
備考:宮城県名取市北野に藤原実方の墓がある。山家集、異本山家集。