柏木
柏木 今はとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
いまはとてもえむけふりもむすほほれたえぬおもひのなほやのこらむ
女三宮 立ち添ひて消えやしなまし憂き事を思ひ乱るる煙比べに
たちそひてきえやしなましうきことをおもひみたるるけふりくらへに
柏木 行方無き空の煙となりぬとも思ふ辺りを立ちは離れじ
ゆくへなきそらのけふりとなりぬともおもふあたりをたちははなれし
源氏 誰が世にか種は播きしと人問はば如何岩根の松は答へむ
たかよにかたねはまきしとひととははいかかいまねのまつはこたへむ
夕霧 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり片枝枯れに宿の桜も
ときしあれはかはらぬいろににほひけりかたえかれにしやとのさくらも
一条御息所 この春は柳の芽にぞ玉は貫く先散る花の行方知らねば
このはるはやなきのめにそたまはぬくさきちるはなのゆくへしらねは
頭中将 木の下の滴に濡れて逆さまに霞の衣着たる春かな
このもとのしつくにぬれてさかさまにかすみのころもきたるはるかな
夕霧 亡き人も思はざりけむ打ち捨てて夕の霞君着たれとは
なきひともおもはさりけむうちすててゆふへのかすみきみきたれとは
紅梅 恨めしや霞の衣誰着よと春より先に花の散りけむ
うらめしやかすみのころもたれきよとはるよりさきにはなのちりけむ
夕霧 事ならば馴らしの枝にならさなむ葉守の神の許しありきと
ことならはならしのえたにならさなむはもりのかみのゆるしありきと
落葉宮 柏木に葉守の神はまさずとも人馴らすべき宿の梢か
かしはきにはもりのかみはまさすともひとならすへきやとのこすゑか
横笛
朱雀院 世を別れ入りなむ道は遅るとも同じ所を君も訪ねよ
よをわかれいりなむみちはおくるともおなしところをきみもたつねよ
女三宮 憂き世にはあらぬ所のゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ
うきよにはあらぬところのゆかしくてそむくやまちにおもひこそいれ
源氏 憂き節も忘れずながら呉竹の子は捨て難き物にぞありける
うきふしもわすれすなからくれたけのこはすてかたきものにそありける
夕霧 言に出て言はぬも言ふに勝るとは人に恥たる気色をぞ見る
ことにいてていはぬもいふにまさるとはひとにはちたるけしきをそみる
落葉宮 深き夜のあはればかりは聞き分けど言より外にえやは言ひける
ふかきよのあはれはかりはききわけとことよりほかにえやはいひける
一条御息所 露繁き葎の宿に古の秋に変はらぬ虫の声かな
つゆしけきむくらのやとにいにしへのあきにかはらぬむしのこゑかな
夕霧 横笛の調べは殊に変はらぬを空しくなりし音こそ尽きせぬ
よこふえのしらへはことにかはらぬをむなしくなりしねこそつきせね
柏木 笛竹に吹き寄る風の如ならば末の世長き音に伝へなむ
ふえたけにふきよるかせのことならはすゑのよなかきねにつたへなむ
鈴虫
源氏 蓮葉を同じ台と契り置きて露の別るる今日ぞ悲しき
はちすはをおなしうてなとちきりおきてつゆのわかるるけふそかなしき
女三宮 隔てなく蓮の宿を契りても君が心や清ましとすらむ
へたてなくはちすのやとをちきりてもきみかこころやすましとすらむ
女三宮 大方の秋をば憂しと知りにしを振り棄て難き鈴虫の声
おほかたのあきをはうしとしりにしをふりすてかたきすすむしのこゑ
源氏 心持て草の宿りを厭へども猶鈴虫の声ぞ振りせぬ
こころもてくさのやとりをいとへともなほすすむしのこゑそふりせぬ
冷泉帝 雲の上を掛け離れたる住処にも物忘れせぬ秋の夜の月
くものうへをかけはなれたるすみかにもものわすれせぬあきのよのつき
源氏 月影は同じ雲居に見えながら我が宿からの秋ぞ変はれる
つきかけはおなしくもゐにみえなからわかやとからのあきそかはれる
夕霧
夕霧 山里の哀れを添ふる夕霧に立ち出でむ空も無き心地して
やまさとのあはれをそふるゆふきりにたちいてむそらもなきここちして
落葉宮 山賎の籬を込めて立つ霧も心空なる人は留めず
やまかつのまかきをこめてたつきりもこころそらなるひとはととめす
落葉宮 我のみや憂き世を知れる例にて濡れ添ふ袖の名を朽すべき
われのみやうきよをしれるためしにてぬれそふそてのなをくたすへき
夕霧 大方は我濡衣を着せずとも朽ちにし袖の名やは隠るる
おほかたはわれぬれきぬをきせすともくちにしそてのなやはかくるる
夕霧 荻原や軒端の露に濡ちつつ八重立つ霧を分けぞ行くべき
をきはらやのきはのつゆにそほちつつやへたつきりをわけそゆくへき
落葉宮 分け行かむ草葉の露を託言にて猶濡衣を掛けむとや思ふ
わけゆかむくさはのつゆをかことにてなほぬれきぬをかけむとやおもふ
夕霧 魂をつれなき袖に留め置きて我が心から惑はるるかな
たましひをつれなきそてにととめおきてわかこころからまとはるるかな
夕霧 堰くからに浅さぞ見えむ山川の流れての名を包み果てずは
せくからにあささそみえむやまかはのなかれてのなをつつみはてすは
一条御息所 女郎花萎るる野辺を何処とて一夜ばかりの宿を借りけむ
をみなへししをるるのへをいつことてひとよはかりのやとをかりけむ
夕霧 秋の野の草の茂みは分けしかど仮寝の枕結びやはせし
あきのののくさのしけみはわけしかとかりねのまくらむすひやはせし
雲居雁 哀れをも如何に知りてか慰めむあるや恋しき亡きや悲しき
あはれをもいかにしりてかなくさめむあるやこひしきなきやかなしき
夕霧 何れとか分きて眺めむ消え返る露も草葉の上と見ぬ世を
いつれとかわきてなかめむきえかへるつゆもくさはのうへとみぬよを
夕霧 里遠み小野の篠原分けて来て我も鹿こそ声も惜しまね
さととほみをののしのはらわけてきてわれもしかこそこゑもをしまね
小少将 藤衣露けき秋の山人は鹿の鳴く音に音をぞ添えつる
ふちころもつゆけきあきのやまひとはしかのなくねにねをそそへつる
夕霧 見し人の影澄み果てぬ池水に独り宿守る秋の夜の月
みしひとのかけすみはてぬいけみつにひとりやともるあきのよのつき
夕霧 何時かとは驚かすべき明けぬ夜の夢覚めてとか言ひし一言
いつかとはおとろかすへきあけぬよのゆめさめてとかいひしひとこと
落葉宮 朝夕に鳴く音を立つる小野山は絶えぬ涙や音無しの瀧
あさゆふになくねをたつるをのやまはたえぬなみたやおとなしのたき
落葉宮 登りにし峰の煙に立ち混じり思はぬ方に靡かずもがな
のほりにしみねのけふりにたちましりおもはぬかたになひかすもかな
落葉宮 恋しさの慰め難き形見にて涙に曇る玉の箱かな
こひしさのなくさめかたきかたみにてなみたにくもるたまのはこかな
夕霧 恨みわび胸空き難き冬の夜に未だ鎖し勝る関の岩門
うらみわひむねあきかたきふゆのよにまたさしまさるせきのいはかと
雲居雁 馴るる身を恨むるよりは松島の海人の衣に裁ちや変へまし
なるるみをうらむるよりはまつしまのあまのころもにたちやかへまし
夕霧 松島の海人の濡れ衣馴れぬとて脱ぎ返つてふ名を立ためやは
まつしまのあまのぬれきぬなれぬとてぬきかへつてふなをたためやは
頭中将 契りあれや君を心に留め置きて哀れと思ふ恨めしと聞く
ちきりあれやきみをこころにととめおきてあはれとおもふうらめしときく
落葉宮 何故か世に数ならぬ身一つを憂しとも思ひ悲しとも聞く
なにゆゑかよにかすならぬみひとつをうしともおもひかなしともきく
藤典侍 数ならば身に知られまし世の憂さを人の為にも濡らす袖かな
かすならはみにしられましよのうさをひとのためにもぬらすそてかな
雲居雁 人の世の憂きを哀れと見しかども身に代へむとは思はざりしを
ひとのよのうきをあはれとみしかともみにかへむとはおもはさりしを