たちなをるべきかと思ふに、あまさへゑやみ
打そひて、まさる様に跡かたなし世の人
みな飢死ければ、日をへつゝ、きはまり行
さま少水の魚のたとへに叶へり。はてには
笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿し
たる者ひたすら家ごとに乞ありく。かくわ
びしれたる者共のありくかとみれは則たふ
れ死ぬ。ついひぢのつら路頭に飢死ぬ
る類ひはかずしらず。とり捨るわざもな
ければ、くさき香世界にみち/\てかはり
行かたち有さま目もあてられぬ事おほ
立ち直るべきかと思ふに、あまさへゑやみ
打そひて、まさる様に跡かたなし。世の人
みな飢死(うえじに)ければ、日を経つつ、きはまり行
さま、少水の魚の譬へに叶へり。果てには、
笠うち着、足ひき包み、よろしき姿したる
者、ひたすら家ごとに乞ありく。かくわび
しれたる者共のありくかとみれは、則たふ
れ死ぬ。ついひぢのつら路頭に飢え死ぬる類
ひは、数知らず。とり捨るわざもなければ、
臭き香、世界に満ち満ちて、変はり行かた
ち、有様、目も当てられぬ事おほ
(参考)前田家本
立直るべきかと思ふほどに、あまさへ疫癘
うち添ひて、勝さ樣に跡形無し。人
みな下意し死にければ、日を経つつ窮まりゆく
樣、小水の魚の譬に叶へり。果てには、
笠うち着、足引き包み、宜しき姿したる
者の、ひたすら家ごとに、乞ひ歩く。斯くわび
痴れる者どもの、歩くかと見れば、すなはち倒
れ伏しぬ。築地の面、道の辺に憂へ死ぬる者の類
ひ、数も知らず。取り捨つるは、際も知らねば、
臭き香世界に充ち満ちて変はりゆく
有樣、目も当てられず、多
(参考)大福光寺本
タチナヲルヘキカトヲモフホトニアマリサヘエキレイ
ウチソヒテマサゝマニアトカタナシ世人
ミナケイシヌレハ日ヲヘツゝキハマリユク
サマ少水ノ魚ノタトヘニカナヘリハテニハ
カサウチキ足ヒキツゝミヨロシキスカタシタル
物ヒタスラニ家コトニコヒアリクカクワヒ
シレタルモノトモノアリクカトミレハスナハチタフ
レフシヌ築地ノツラ道ノホトリニウヘシヌ物ノタク
ヒカスモ不知トリスツルワサモシラネハ
クサキカ世界ニミチ満テカハリユクカタチ
アリサマ目モアテラレヌコトヲホ
◯◯に土佐の郡に有
としるせり風土記にも
土佐国朝倉の郡に朝
倉の◯有とみえたり国の
門なれば伊予国よりも
土佐国にうつりまし/\ける
にや。朝倉の木の丸殿は土
佐国に侍るを古来あや
まりてつくしに有といへ
り。木の丸殿は行宮を云
丸木にて作れる◯也。
天智天皇未春宮と
申侍る時に斉明天皇
随ひ給ひて朝倉の
行宮にとゞまり給へる
時此宮へ奉るもの司謁