僧正遍昭
天つ風雲のかよひ
ぢふきとじよ
をとめの姿しば
しとゞめむ
雲林院
〒603-8214 京都府京都市北区紫野雲林院町23
雲林院(うんりんいん、うりんいん)は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。かつて天台宗の大寺院として知られた、平安時代の史跡でもある。なまって「うじい」とも呼ばれた。
もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。
869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に託し、ここを官寺「雲林院」とした。884年(元慶8年)、遍昭はこれを花山元慶寺の別院とし、年分度者3人を与えられて天台教学を専攻。その後、鎌倉時代までは天台宗の官寺として栄え、菩提講・桜花・紅葉で有名であった。
天つ風雲のかよひ
ぢふきとじよ
をとめの姿しば
しとゞめむ
雲林院
〒603-8214 京都府京都市北区紫野雲林院町23
雲林院(うんりんいん、うりんいん)は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。かつて天台宗の大寺院として知られた、平安時代の史跡でもある。なまって「うじい」とも呼ばれた。
もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。
869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に託し、ここを官寺「雲林院」とした。884年(元慶8年)、遍昭はこれを花山元慶寺の別院とし、年分度者3人を与えられて天台教学を専攻。その後、鎌倉時代までは天台宗の官寺として栄え、菩提講・桜花・紅葉で有名であった。