百人一首改観抄
契沖

○曽祢好忠
ゆらのとをわたる舟人かちをたえ行ゑもしらぬ恋の道かな
新古今集恋一題しらず。家集にも有。此哥の上句

こと/"\く比なり。男の身をば舟になずらへ女を其泊に
なずらふ。楫は媒によせ迫門のこしがたき所をば
いひよるあたりの難儀なるにたとへたり。こしがたき渡
をも楫を使にこゆればこえすます事あるがごとく
媒の方便にしたがひてあひがたきにもあふ習なり。
今いひよるかたの難儀なるにわびて中立の見捨たれ
ば楫を失なへる舟のごとく我恋路も行ゑ定むべ
き方なしとなり。又ゆらのとゝいふは波にゆら
るゝ舟のやすからぬ心をかねたるか。此由良の門は紀
伊の国に由良ある事勿論な(れど)曽丹集を

みるに丹後の掾にてうづもれ居たる(ことを)述懐して
よめる哥おほければ此由良も丹後の由良にて樂天が
大行路の艱難なるをもて男女の中にたとへ又男女の中
をもて君臣の間にたとへたるがごとく此哥もおもて
は恋の哥にして我逸才ある事を吹舉してみかどに
奏する人なくて召上られて然るへき官爵を授
らるゝ事もなきをたとへ出せるにや。夫木抄
廿三神祇伯顕仲家集の哥を出して云
暁やをしまか磯の松風に衣かさねよゆらのふなひと
此由良は丹後国与謝郡に有。新拾遺羇旅部大

納言通具
とまりするをじまが磯の波枕さこそはふかめよさの浦かぜ
此哥に与謝浦にをじまをよみ合たるに顕仲の哥を引
合てみれは明らかなり。又紀伊の国の由良は万葉集に
ゆらのさきゆらのみさきなとよみてゆらのとゝよめる哥
なし。又隠岐国知夫郡淡路国津名郡にも由良は有
なり。新続古今集雑上渡霞といふ事をよませ給ふ
ける後小松院御製
紀の浦や由良の湊の朝ほらけ霞のそこに(舟)こくらしも
一向この好忠の哥によりて渡といふ字○○哥にあづ

けて湊とよませかへり。紀の浦に湊と○○せ給ふは
本據にかなひて覚ゆれと渡といふ題によませ給ひ
けん。今すこし思しよらさりけるにや。男を舟によせ女
を泊になすらふる事は万葉集をはじめて其言数し
らず五六音こゝにあぐべし。万葉集㐧十一
大船香取海慍下何有人物不念有
同
湊入之葦別小舟障多吾念公尓不相頃者
鴨
古今集恋一 藤原勝臣

白波のあとなきかたに引舟も風ぞたよりのしるべなりける
同 よみ人しらす
いで我を人なとがめぞ大舟のゆたのたゆたにものおもふころぞ
同 よみ人しらす
堀江こぐたなゝし小舟こぎかへり同じ人にや恋わたりなん
後撰集恋五 清蔭朝臣
身のならん事をもしらず漕舟は波の心もつゝまざりけり
続古今集雑中 小野小町
すまの海士の浦こぐ舟の梶をたえよるべなき身そ悲しかりける
さ衣に此扇を扇くみれはわたる舟人かぢをたえ

などかへす/"\かれたるは云々。
追考中華のかぢは柂字にて柂以正船と注し
梶取を柂工といひ一船之司命也と注せり。此
国にては海川をいわず櫓楫の類すへてかぢと
訓せり。万葉集㐧七
浪高之奈何梶取水鳥之浮宿也應為猶哉
可榜
又梶棹母無などよめり。中古に至りても猶通
して梶といひしとみゆ。新撰六帖信實朝臣
うきねして枕と頼む舟はだに買ならへたる梶も有けり

これらによれは柁とはすべて行舟ものをいふ通
称にして、今俗にいふ梶のごとき一物をさして云
にあらず。後世此哥によめるゆらのとを紀伊と
心得て、紀の国の由良をゆらのと共よめるにやと
おぼしき事あり。寬元元年結縁經百首大納言
為家
紀の海のゆらのとあるゝわたり舟わがみさきより出かひもなし
