翅似得群栖
浦鶴心應乗
興棹舟人
雪ふれば
木ごとに
花ぞさき
にける
いづれを
梅と
わきて
おら
まし
和漢朗詠集 雪
池上初雪
村上帝御製
翅似得群栖浦鶴 翅は群を得たるに似たり浦に栖む鶴。
心応乗興棹舟人 心興に乗るなるべし舟に棹さす人。
古今和歌集 冬歌
雪のうちの梅の花をよめる
紀友則
雪ふれば木ごとに花ぞさきにけるいづれをうめとわきてをらまし
柳里恭
元禄十六年(1703年)ー宝暦八年9月5日(1758年)
江戸時代中期の武士、文人画家、漢詩人。服部南郭、祇園南海、彭城百川らとともに日本文人画の先駆とされる。
幼名は権之助、名ははじめ貞貴、元服後は里恭と名乗る。後に中国風に修して柳里恭(りゅうりきょう)と名乗ることを好んだ。代々権太夫と称し、字は広美もしくは公美、淇園と号し、ほかに竹渓、玉桂の別号がある。よく知られた淇園の号は、40歳頃から使用したと推測される。
幼名は権之助、名ははじめ貞貴、元服後は里恭と名乗る。後に中国風に修して柳里恭(りゅうりきょう)と名乗ることを好んだ。代々権太夫と称し、字は広美もしくは公美、淇園と号し、ほかに竹渓、玉桂の別号がある。よく知られた淇園の号は、40歳頃から使用したと推測される。
46cm x 27cm
令和元年11月30日 弐