君の浮舟に問也
るわざはし給ふや。つれ/"\なるになどいふ
細うきふねの詞也。抄浮舟の心歟
むかしもあやしかりける身にて心のどか
にさやうのことすべきほどもなかりし
かば、いさゝかおかしきさまならずもおひ出に
けるかなと、かくさだすぎにける人の心を
やるめるおり/\につけては思いづ。なをあさ
三浮舟の身のうへを思ひ知也
ましくものはかなけりけると、我ながら口
細是より手習の君といへり
おしければ手ならひに、
浮舟
身をなげし涙の河のはやき瀬をし
がらみかけてたれかとゞめし。思のほかに
こゝろうければ、行すゑもうしろめたく
うとましきまでおもひやらる。月のあかき
頭注
かくさだすぎにける人の
孟年よりたる人も琴
引て遊ぶにつけて昔を
思ひ出る浮舟の心也。
身をなげし 三誰かと
とめしとこゝの事を云也。孟√なが
れゆく我はみくづとなり
ぬとも君しがらみと
なりてとゞめよ。身を
なげきりたるよと思
へばかやうにあれば、誰し
がらみとなりてとゞ
頭注
てしとなり。
尼君達也
夜な/\、おい人どもは、えんにうたよみい
にしへ思出つゝ、さま/"\の物がたりなどす
浮舟の心也
るに、いらふべきかたもなければ、つく/"\と
うちながめて
浮舟
われかくてうき世の中にめぐるとも誰
かぎり
かはしらん月のみやこに。今は限と思ひし
程は、こひしき人おほかりしかど、こと人〃゙
はさしも思いでられず。たゞおやいかにまど
ひ給けん。めのとよろづにいかで人なみ/\
になさんと思いられしを、いかにあへなき
こゝちしけん。いづこにあらん。われ世に
右近より外に同心の人なかりしと也
あるものとはいかでかしらん。おなじこゝろな
頭注
われかくて 細尤哀なる
うた也。とりあつめて万
の事を思たるさま也。
孟此世にながらへてある
としる人もあるまじ
きと也。師月の都は
たゞ都の事をいふ也。
ただおやいかにまどひ
抄只今は母君めのとの事
右近など思ひ出ると也。
る人もなかりしまゝに、よろづへだつる
ことなくかたらひみなれたりし、右近な
どもおり/\は思いでらる。わかき人のか
かる山里゙に、今はと思ひたへこもるは、かた
きわざなりければ、たゞいたくとしへにけ
るあま七八人ぞつねのひとにては有ける。
それらが娘むまごやうのもの共、京に
宮づかへするも、いとざまにてあるも、と
き/"\ぞきかよひける。かやうの人につけ
て、みしわたりにいきかよひ、をのづから世
にありけりと、たれにも/\きかれたてま
つらんこといみじくはづかしかるべし。いかなる
頭注
わかき人のかゝる山里に
細此山ざとに若き
人などもなしと也。
かやうの人につけて見しわ
たりに 抄此京にある
宮仕へ人の來かよふ中に
いひ傳へて薫匂などのあた
りへしられてはとふかくしのぶ也。
おのづあら世にありける
と 孟かやうに往來が
あるほどに我此世に
ありとをのづからしら
れんと也。
さまにてさすらへけんなど思やりよづかず
あやしかるべきを思へば、かゝる人〃゙にかけて
もみえず。たゞ侍従、こもきとて、尼君の
わが人にしたりけるふたりをのみぞ、この御
かたにいひわけたりける。みめも心ざまも
昔みし√宮こ鳥゙に似たることなし。なに
ごとにつけても√世中にあらぬ所はこれ
にやあらんとぞ。かつは思なされける。かくの
み人にしられじとしのび給へば、まことに
わづらはしかるべきゆへあるひとにももの
し給はらんとてくはしきことある人〃゙に
もしらせず。あま君の昔のむこの君いま
頭注
都どりに 細都鳥の説け
尤殊勝也。花昔見し都
の人といはんとて都鳥
と詞をかざれる也。又
わがおもふ人はありやな
しやとはまほしけれ
ど都鳥に似ざればか
ひなき心なり。孟引哥√名
にしおはゞいざ・・・河
世中にあらぬ 細前に母
との宇治にての贈答の
ことを思ひ出る也。別の
引哥は無用也。√よの
中にあらぬ所もえてし
頭注
がな年ふりにたるかたちかくさん。孟是は東屋の巻に浮舟の√ひたぶるにうれし
からまし世の中にあらぬ所とおもはましかば。母の返し√うき世にはあらぬ所をも
とめても君がさかりを見るよしもがなと有しを思ひ出給也。
るわざはし給ふや。徒然なるに」など言ふ。昔もあやしかりける身
にて、心長閑に左樣の事すべき程も無かりしかば、聊か可笑しき樣
ならずも、生ひ出でにけるかなと、かくさだ過ぎにける人の心を、
やるめる折々につけては思ひ出づ。猶浅ましく物はかなけりけると、
我ながら口惜しければ、手習ひに、
浮舟
身を投げし涙の河の早き瀬を柵掛けて誰か留めし
浮舟
身を投げし涙の河の早き瀬を柵掛けて誰か留めし
思ひの外に心憂ければ、行末も後ろめたく、疎ましきまで思ひ遣ら
る。
月の明き夜な夜な、老い人どもは、艶に歌読み、いにしへ思ひ出で
つつ、樣々の物語りなどするに、答ふべき方も無ければ、つくづく
と打眺めて、
浮舟
我かくて憂き世の中に巡るとも誰かは知らん月の都に
浮舟
我かくて憂き世の中に巡るとも誰かは知らん月の都に
今は限りと思ひし程は、恋ひしき人多かりしかど、異人々は、さし
も思ひ出でられず。ただ親、如何に惑ひ給けん。乳母、万づに如何
で人並々になさんと思ひ入られしを、如何にあへ無き心地しけん。
何処にあらん。我、世に在る物とは、如何でか知らん。同じ心なる
人も無かりしままに、万づ隔つる事無く、語らひ見馴れたりし、右
人も無かりしままに、万づ隔つる事無く、語らひ見馴れたりし、右
近なども、折々は思ひ出でらる。
若き人の、かかる山里に、今はと思ひ絶へ籠もるは、難きわざなり
ければ、ただいたく年経にける尼七八人ぞ、常の人にては有ける。
それらが娘、孫(むまご)やうの者ども、京に宮仕へするも、いと
樣にてあるも、時々ぞ來通ひける。かやうの人に付けて、見し辺り
に往き通ひ、自づから世に在りけりと、誰にも誰にも聞かれ奉らん
事、いみじく恥づかしかるべし。如何なる樣にて流離へけんなど思
ひ遣り、世付かず、あやしかるべきを思へば、かかる人々にかけて
も見えず。ただ、侍従、こも君(き)とて、尼君の我が人にしたり
ける二人をのみぞ、この御方に、言ひ分けたりける。見目も、心樣
も、昔みし√宮こ鳥に似たる事なし。何事に付けても、√世の中にあ
らぬ所はこれにやあらんとぞ。かつは思ひなされける。かくのみ人
に知られじと忍び給へば、真に煩はしかるべき故ある人にも物し給
はらんとて、詳しき事ある人々にも知らせず。
尼君の昔の婿の君、今
※√ながれゆく我はみくづとなりぬとも君しがらみとなりてとゞめよ
大鏡や北野天神縁起に、
流れ行く我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ
※引哥√名にしおはゞいざ
名にしおはゞいざことゝはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと
※よの中にあらぬ所もえてしがな年ふりにたるかたちかくさん
拾遺集 雑上
題しらず よみ人知らず
世の中にあらぬ所もえてしかな年ふりにたるかたちかくさむ
※東屋の巻に
浮舟 ひたぶるに嬉しからまし世の中にあらぬ所と思はましかば
中将君 憂き世には在らぬ所を求めても君が盛りを見る由もがな
和歌
浮舟
身を投げし涙の河の早き瀬を柵掛けて誰か留めし
身を投げし涙の河の早き瀬を柵掛けて誰か留めし
よみ:みをなげしなみだのかわのはやきせをしがらみかけてだれがとどめし
意味:身を投げた河は、私の溢れる程の涙で水かさが増した早い瀬に、しがらみを掛けて救い出し、誰がこの世に留めてしまったのだろうか。
備考:本歌 大鏡 流れ行く我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ
浮舟
我かくて憂き世の中に巡るとも誰かは知らん月の都に
我かくて憂き世の中に巡るとも誰かは知らん月の都に
よみ:われかくてうきよのなかにめぐるともだれかはしらんつきのみやこに
意味:私は、こうして憂き世に留まって、生きる事となりましたが、その事を都の人は知っているのでしょうか?知るはずも無いですが。
備考:巡るは月の縁語。月の都は、竹取物語を意識した京都。
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺