寂蓮
藤原隆方朝臣
さのミやはつれなかるへき者る可せに
山た能こほ里うちとけね可し
題不知
歌
さのみやはつれなかるべきはるかぜに山田の氷うちとけねかし
意訳
そのような状況ではとてもつれなかったが、春風も山田の氷を融かしているようですよ。貴女もうち解けてくださいよ。
私撰集
この歌は、万代和歌集 巻十 恋二にある
恋歌に 藤原隆方朝臣
さのみやはつれなかるへきはるかせに山たのこほりうちもとけなん
万代和歌集は、初本は宝治二年九月の成立で、再撰本は建長二年成立となっている。
部類の考察
勅撰和歌集では、一番最初の題と次の歌が同じ場合は、その後は省略して記載されている。
この手鑑には、右隅に題不知とあることから、隆方の歌には題があったが切断されたと考えて良い。若しくは同じ題の歌が前にあった。
左隅の寂蓮は、筆者と思われて記されているが、新古今和歌集完成時には寂蓮は死んでいることから、この歌が新古今であれば寂蓮であるはずはなくなる。
新古今和歌集には、題知らずが571首あり、春歌上23首、賀歌7首、恋歌183首、雑歌123首ある。
春歌上の題知らずのうち、氷が融けるとする初春の歌は西行の歌一首であり、その前は藤原兼実右大臣家百首で時代が異なるので春歌ではない。
賀歌として、この歌を見た場合、賀歌の要素である高貴な者を言祝ぐ意味はないことから賀歌ではない。
恋歌は、五巻に別れており、恋歌一には
正月に雨降り風吹きける日女に遣はしける 謙公
春風の吹くにもまさるなみだかなわがみなかみも氷解くらし
たびたび返事せぬ女に (謙公)
水の上に浮きたる鳥のあともなくおぼつかなさを思ふ頃かな
題しらず 曾禰好忠
返事せぬ女のもとに遣はさむとて人の読ませ侍りければ二月ばかりによみ侍りける
和泉式部
あとをだに草のはつかに見てしがな結ぶばかりの程ならずとも
題しらず 藤原興風
と続く。
その他題知らずの前には、百首歌などが並んでおり、該当しそうな場所はない。
恋歌二の題知らずの前歌には、題詠であるので、該当しそうな個所はない。
恋歌三は、詞書が例えば「九月十日あまり夜更けて和泉式部が門を叩かせ侍りけるに聞き付けざりければ朝に遣はしける 大宰帥敦道親王」など個別なものであり、該当しそうな個所はない。
恋歌四も同じく前半は個別な詞書、後半は歌合などの題詠なので、該当しそうな個所はない。
恋歌五には、万代和歌集と同様な詞書き「戀歌とて 式子内親王」があるが、その後ろの歌は、題しらずではない。唯一該当しそうなな個所としては、
久しくなりにける人のもとに 謙公
長き世の盡きぬ歎の絶えざらばなににいのちをかへて忘れむ
題しらず 權中納言敦忠
がある。
雑歌は、三巻に別れており、該当しそうな個所はない。
以上のことから、この歌が新古今和歌集に撰歌されたものであるなら、恋歌一の「たびたび返事せぬ女に 謙公」の後が有力である。
ただし、隆方歌が、個別の詞書をもって単独での入撰ならこれ以外の場所となる。
新古今和歌集に幻の一首 800年以上埋もれたまま 朝日新聞 2013年10月04日15時03分
鶴見大学(横浜市鶴見区)が所蔵する奈良~室町期の写本の切れ端を集めた江戸期の「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、新古今和歌集に一度収録されたが、のちに除かれたとみられる未知の歌1首が見つかった。800年以上埋もれていたとみられ、新古今集の編集過程がうかがえる貴重な発見という。
見つかったのは、「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という和歌。早春にこと寄せて打ち解けてほしいと恋人に呼びかける内容だ。作者の藤原隆方(1014~78)は紫式部の夫の孫にあたる。
鶴見大の久保木秀夫准教授(国文学)が古筆手鑑を調べて、この歌を見つけた。歌が書かれた切れ端は、すでに発見されている新古今集「巻十一」の鎌倉初期の写本の切れ端と、字体や体裁などが一致し、同じ写本から切り取られたものと分かった。しかし、新古今集の全部の歌がそろった完本の写本にはない。
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