>保護者の「努力義務」 としない方向で調整している
今回の対オミクロン株に違うワクチンを接種するのだから、そう言う役所的な表現になるのでしょう。
これで対オミクロン株用のワクチンが開発された時にどうなるのかです。
日本だとやはり「努力義務」 としない無責任な状況になって、また欧米とかでほぼ強制になるのかと懸念しています。
問題の本質は責任論と司法で本来の社会的な責任は蔑ろにしてでも被害者の権利しか念頭にない司法や弁護士で世界に通用しなくなっています。
簡単に言えば、出国するなら打たないとダメと言う話になるのです。
本質的な社会問題として
>厚生労働省は10日、専門家の分科会に方針を諮ったうえで、保護者に対してどのように接種を呼びかけるかについて議論することにしています。
なんでも国の責任で本人や保護者の責任は問われないかのような無責任社会にしています。
本人は幼いから別として、保護者は判断の下に行動してその為の情報共有くらいして貰わないと親の意味が有りません。
努力義務もなくて接種を依頼するのが良いのかも含めてしっかりとしないと単に保護者の責任転嫁先でしかなく医師にしても推奨か否か迷う事に成り兼ねません。
まして子どものワクチンのオミクロン株に対する有効性は海外でも報告されていないのに国費負担で、親が出費しないで済むのでしょうから目的を明確に出来るように海外が遣っているからにしない事柄の整理が必要なのかと思われます。
おそらくは説明できる話ならこんなに議論するとしないで答えを述べていたのでしょうから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます